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毒親



最近よく耳にするようになった言葉だ。


毒親とはなんだ。


Wikipediaには、

毒になる親の略で、毒と比喩されるような悪影響を子供に及ぼす親、子どもが厄介と感じるような親を指す俗的概念である...

とある。
まだ説明文は続いていたが、
正直それだけでは解らなかった。

しかし、
色々なメディアやネットで目にするうちに、
私はいつしかうちの両親も毒親なのではと考えるようになった。


どこがと聞かれれば、長くなるし難しい。


根拠と言っていいほどの自信はないが
あげるとするならば、
小さい頃の記憶を思い出すと
そこからは父への嫌悪感がうまれ、
母には呆れ返ってしまうからだ。

もちろん小さい頃のそれだけではない。

最も大きな理由は、
私が高校生の頃に両親が離婚し、
私は姉と弟と父の元で暮らすことになった。
だが四人暮らしは長くは続かず、
数年後、姉は結婚し家を出た。


そしてすぐ、父に彼女ができた。
だがそれは、不倫だった。

その彼女には、
旦那と当時中学生の息子がいたのだ。

そして仕舞いには、
まだ離婚もしていない彼女と一緒に暮らすと
新しい家の内見を始めたのだ。


話が渋滞するが、私の弟には障がいがある。
父が不倫を始めた当時、弟は高校1年生だった。

私は社会人で、帰宅は21時過ぎ。
しかし父は、週に2.3日
弟を一人置いて、夜中まで家を空けることが多かった。


私は理解ができなかった。

大人の勝手で離婚をし、
母親という存在を奪った上、
父親という責務を放棄するのか。
この状況をも改善する気はない上に、
他の人の女と住むと言い出せるのは何故だ。

父に直談判したこともある。
せめて、日数を減らすか
私が家にいられる週末にしてくれと。
しかし、聞き入れてはくれず
怒り任せに焼きそばを投げつけたこともあった。

それも無念に、お互い話は一方通行。

そして私は、それを機に家を出た。

それからというもの私の父への嫌悪感に拍車がかかり、今に至る。


思えばずっと、
親の顔色をうかがって生きてきた。
不機嫌にならないように、
悲しませないようにと、
親が安心するような受け答えをし、
明るく振舞ってきた。

決して裕福な家庭ではなかった。
レストランへ出かけてもコンビニへ出かけても
その中から安い物を選び、
欲しい物があっても強請ることはなかった。

辛くても、私が笑っていれば
それはなかったことになると
自分を押し殺してきたのだ。

まぁそれも限界を迎え家を出たが、
私のこの人への立ち振る舞いは
職場でも友人でも変わることはない。


環境因子という言葉がある。
自分を取り巻く物や人々、または社会的環境が
自分を構成するにあたって大きく影響する因子のことを指す。

そして、人格は3歳くらいまでに形成され、10歳くらいまでに確定すると言われている。

つまり、今の自分の性格の大々的部分は
過去の環境因子が大きく影響しているということだ。


そう言われると、つい余計に両親や
過去の環境を恨んでしまう。


今の自分が上手くいっていないのも
過去の環境のせいではないのか?
と罵声を浴びせ、
さらには全責任を押し付けてやりたくなる。


だが、私はもう26になる歳だ。
伊達に生きてきたわけではない。


それだけが原因じゃないことは、
どれだけ考えたくなくても、
心の底から否定をしたくても、
認めざるを得ないこともわかってしまっているのだ。

考え出すとどんどん自分を否定したくなる。
負の無限ループが始まり、
抜け出せなくなってしまうのだ。


そんな時私は、魔法の言葉を呟く。

仕方がない。


そう、仕方がないことなのだ。
きっと、両親にも両親なりの考えがあったのだ。
そう思えば、少し楽になる。


私は意外と器用らしく、表面上だけでも
なんだかんだで父とも母とも上手く関係を築けている自信はある。


SUPER BEAVERの曲の歌詞にもあるように、
私は、ひとりでいきていないのだ。

そこには姉も弟も祖父も祖母も従姉妹達も、
私の愛してやまない甥っ子達もいる。


だから私は、仕方がないと
歯を食いしばり受け止めようともがくのだ。


そうして、これからも生きていくんだろうなと
なんとなく思う。

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