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グッド・バイ、ホーム

私は今日、この家を出る。



この家で過ごした約5年間は、
本当に色々なことがあった。

もちろん楽しいこと、嬉しいこともあった。


だが、正直に言えば、
簡単には人に言えないような出来事や、
誰かに聞いてもらわなければ耐えられない夜の方が多かったのではと思ってしまう。


私は21歳になる年に、
親が離婚してすぐに飼いだした
猫2匹を連れ、実家を出た。


自分勝手な父の不倫をきっかけに家を出た私に、
父は少し負い目を感じているようだった。


突如始まった
私と、猫2匹の生活。


この5年間は、
生きるため、生かすために
とにかく必死だったような気がする。


今思えば実家を出た頃の私は、
父との関係に相当心をすり減らしていたのだろう。


そこに鞭を打って足を踏ん張り
走り続けたのだから、
当然といえばそうなのかもしれない。


高校を卒業してすぐ就職した会社で、
仲の良かった同僚の先輩に、
財布からお金を抜かれていた経験をした私は、
軽い人間不信に陥り、上手く働けなくなり退職した。

それからというものの、なかなか定職に就けず
アルバイトを掛け持ちする生活を送っていた。


お金に余裕はなかったが、
家には私一人、
そして大好きな猫が2匹という空間に、
私はとても心が軽くなり、
自由を感じていた。


実家はとても狭く、その上6人暮らし、
プライベート空間と呼べる場所は
トイレしか無かった家で育った私は、
とても幸福を感じていたのだ。


だが、それも長くは続かなかった。


一人と猫2匹暮らしを始めて約10ヶ月。


猫のまるが、急病で死んだ。

悲しみにくれながらも、
アルバイトの私は仕事を休むなんてことが出来るわけもなく、必死で働いた。


すると、まるの死から2週間後、
もう一匹の猫、レオも死んだのだ。


2匹とも亡くなる約1ヶ月前から調子が悪く、
週に3.4日病院に通った。


それでも、急死した。


心が空っぽになるとはこういうことなのかと
まるとレオの死を目の当たりにし、
朦朧とした意識の中で思った。
それはまるで、社会に出て働きお金を稼ぐ意味、
生きる意味、を無くした感覚だった。
頭の中には "絶望" の二文字だけだった。


それでも、よく分からないままに
まさに 無 で働いた。


しかし、それも長くは続かず、
約3ヶ月が経った頃、
私は仕事をやめた。


それからの生活も、
良くも悪くも相も変わらずだった。


次に就いた職場で、
上手く働けずに体調を崩していた私に、
一度、心療内科などの病院に行ってみてはと
上司が提案してくれた。


結果は、適応障害と診断された。

医師の勧めもあり、
仕事を一時休暇することになった私は、
傷病手当金の給付もあったが
給料の7割弱支給であったこともあり、
より貧困になった。

それでも、なんとか生きてこれたのは、
当時のほぼ同棲状態だった彼が
全面的に協力してくれたおかげだった。


そんな彼ともいつしか別れ、
約一年が経った頃。


限界がきた。


上手く働けない私に、綺麗事は言えない。
お金というものは本当に、
嫌になるほど付きまとってくる。


分かってはいたのだ、ずっと前から。


あの時、
こうなる前に、
そうするべきだったのだ。


彼に甘え、自分を甘やかしすぎた結果がこれだ。


ふと、昨年ある上司に言われ
ずっと胸に引っかかっている言葉を思い出す。

"あんたは、手離したくないものを
自分から手放してない?"

そうなのだろうか。

癒しと、活きる意味と力を教えてくれた
まるもレオも、
側で見守り、支えてくれた彼も、
みんな手放したくない存在だった。


それなのに、
私は自分から手を離した、のだろうか。


自分から手放していない
つもりでいるだけなのだろうか。


わからない。

でも、たしかに引っかかっているのは
後悔があるからなのかもしれない。

もっと出来たことはあったのではと、
悔やんでいるからなのかもしれない。


もっと働いてお金を稼いでいれば、
大きな病院で診てもらえていれば、
もっと側に居てやれば、
そしたら、もしかしたら助けられたのでは。


父との話し合いを諦めずに
もっとお互いに歩み寄っていれば、
まるとレオが亡くなることはなかったのでは。


もっと気楽に話をし、
彼に優しくしていれば、
甘えすぎず自分で立つ努力をもっとしていれば、
あの時、行かないでと素直に言えていれば、
また違った未来があったのでは。


色々思うことはある。
誰だって一つや二つと言わず
後悔していること、
悔やんでいることはあるだろう。


それでいいとは言わないし、思うこともない。
出来れば後悔よりも、
誇らしい気持ちでいられる自分の方が、
ずっと良いに決まっている。
圧倒的に自分の言葉に自信が無い私でも、
これは断言出来る。


だが、それが難しいことも知っている。


私は残念なことに、
今のままでは自分を到底誇れない。


誇れる自分になりたい、とも言わない。


せめて、生きていてもいいと
思える自分になりたい。



私は今日、この家を出る。


冒頭でも口にしたように
もちろん、嫌な思い出ばかりではない。


彼との楽しかった記憶や、
大好きなまるとレオと過ごした時間、
友達を招待して語り合ったあの言葉達だって、
とても良い景色が、思い出が、たくさんある。


本当に、最高の日々たちもあったと
確信している。


多種多様な思いが多く詰まったこの家との
別れを決心するのは、本当に困難だった。


自分勝手に深まった、
父への溝は埋まることはないかもしれないが
それでもいいと思えるまでは、
大人な考えができるようになったと思う。


それとなく、何となく、その場しのぎでも、
その時をのらりくらりと過ごせたら良いと思う。


自分のことばかりで
本当にどうしようもない5年間を
過ごしてきた私だが、


またまた自分のことを考え、自分のために、
ずっと走り続けていた足を止め
ただただ意味もないのでは
と疑いたくなるような日々を、


少しの間だけ、過ごそうと思う。
そう思えるくらいには、私も自分勝手なのだ。


さようなら、


私の愛してやまない、
悔やんでも悔やみきれない
この5年間に、時間に、空間に。


私は明日、父と私の自分勝手な生活を始める。



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