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花火よりも綺麗なモノ

提灯に明かりが灯る。
空はオレンジと赤に染まり、幻想的なグラデーションを作っていた。

賑わう人々の中に、微かな鼻歌と、コロン、カラン、という音が聞こえる。
君はわたがしを右手に、高揚した眼差しで辺りを見回しながら、僕の斜め後ろをゆったりとした足取りで付いてくる。

このままでは逸れてしまうのではないか
と悩む僕に、君の手を取る勇気は到底ない。
あの日の威勢はどこへいったのだ。
何とも情けない。

大学生活にも慣れてきた二回生の7月中旬。
無事に前期試験を終え、長い夏休みが始まろうとしていた頃、僕は一世一代の大勝負に出た。
それは、入学早々に一目惚れをした彼女を祭りに誘うこと。
ここ数年で一番の、重大ミッションだ。

今の彼女との関係は、サシで飯に行ったり、可否の確認なくお互いに電話をかけ合うくらいの距離感を築けている。
だが、それだけでは満たされなくなってきていた。
"彼女に触れたい"
単純な思考が日々膨らみ、この気持ちに蓋をするのはもう限界だった。
それほどまでには僕も男なのだ。

もしこの誘いを断られたら、ここまで積み上げてきた彼女との友情と信頼関係は見事に崩れ去るだろう。
不安を抱えながらも、恐怖の淵で自分を奮い立たせ、震える声で誘い出したのが二週間前のことだ。

彼女からの返事は、二つ返事でOKだった。
一気に肩の力が抜け、笑みがこぼれてくるのが分かり、彼女が目の前にいなくてよかったと、対面で誘う勇気が出ず電話で誘うことにした自分を褒めた。

それからの僕は分かりやすく浮かれていたと思う。
いつもならバイト先の同期の奴に
そんなに?と馬鹿にされるほど落ち込む、レジの打ち間違いをどれだけしてもまったく気を病むことがなかった。
皆が嫌がってやりたがらないトイレ清掃も喜んで引き受けた。
電話を終えたその日から、僕の気持ちはすでに二週間後の今日にあった。

僕はすぐに、僕が彼女に惚れていることを唯一知っている友人にこの事を伝えた。
僕以上に興奮している様子が、彼の第一声で伝わってきた。
はち切れんばかりの声量に、携帯を当てていた耳がキーンとなり顔を背けた。
こいつは人の幸せをまるで自分の事のように喜ぶことが出来る、根っからの良い奴だ。
決して広くはない交友関係の中で、こいつと繋がりをもてている自分を誇りに思った。

ふと我に返ると、君はただの割り箸になったわたがしの棒を手に、遠くの空を見ていた。

「知ってる?マジックアワーっていうんだよ」
普段はくるっとした大きな目を細め、きゅっと口角をあげ、自慢げな顔で見つめてくる。
ふいの笑顔に慌てて前を向き直した。
あっ、と呟き彼女が道の端にあるゴミ箱にかけよる姿を見送る。
頬が熱い。祭りのせいだろうか。
彼女の一挙手一投足に鼓動が速くなるのが分かる。
今日一日、心臓が持つだろうか。

それにしても人が多く、暑い。
コロナの影響もあって、久々に本格的な祭りが開催されたからだろう。
この人混みでは彼女との会話も、隣を上手く歩くこともままならない。
もどかしくなった僕は、彼女の欲しがったいちご飴とラムネを2本買い、外れの川沿いまで歩くことにした。

さっきまでとは違い、ここは穏やかだ。
少し廃れた木のベンチに、浴衣姿の彼女を座らせるのを躊躇ったが、彼女から腰掛けてくれたことに心の中で感謝した。
浴衣姿の君が浮いて見えるほど、いつもと変わらない時間が流れている。
よく見るとおじいちゃんが犬の散歩をしている。
柴犬かな?と君は身を乗り出して呟き、少し嬉しそうな表情を浮かべた。

空はすっかり日が落ち、月が浮かんでいる。
ここまで静かだと、逆に緊張して会話が上手く続かない。
横を見ると君はいちご飴を頬張っている。
美味しそうに食べる姿に、君を好きなことを不覚にも再認識させられる。
ラムネを上手に開けられない君に、すでに開けた自身のラムネを渡した。
「ありがとう」
そんな当たり前のフレーズも、君が口にするだけで特別に聞こえる。
どこまでも単純な自分に、もう笑えてくる。

気がつけば会話はなくなり、いちご飴を食べ終えた君は道行く人や川の流れをぼんやりと見つめていた。
不思議なことにその時間を苦には思わず、君も気にしている様子は伺えない。
二人共受け入れこの空気感を味わっている、そんな感覚だ。

ふと、どんな表情をしているのか気になった。
ゆっくりと顔を向けると、目が合い君が僕に微笑みかける。
その時、遠くの方で花火の上がる音が聞こえた。
今度は君が顔をそらす。
花火に照らされた君の横顔が、はっきりと僕の目に映り、無意識に見惚れる。
気づけば、どのタイミングで口にするかとあれほど悩んでいた想いが、無意識に言葉に出ていた。

花火を見ていた君の目が一瞬見開く。
その瞳がゆっくりと僕を捉え、目が合い、緊張や不安でぐちゃぐちゃになりそうな気持ちをどうにか抑え込み、息をひそめ彼女の応えを待つ。

君の口が開く、
やはり返ってきたのは二つ返事だった。

花火に照らされた君が、少し潤んだ目を細め、きゅっと口角を上げて照れたように微笑みかける。

その姿は、花火よりもずっと綺麗だった。


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