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「たぶん」って言葉、ほんまに便利。


この世は「たぶん」で片付けられることが沢山ある。

たとえば、人の気持ちだったり
この先の未来のことだったり、
業務の矛盾、闇に気づいているが
それを突き止め正す労力が惜しく
曖昧に表現する時、
そして、自分の感情でさえも分からない時。

その時、"たぶん" "〜だと思う" などの
抽象的な言葉で済ませたことが
誰しも一度はあるはずだ。

言ってしまえば、
この"はず"という言葉だって抽象的だ。

はっきりとは言い切ることはできないが、
たぶん大体の人がそういう経験があるだろう
という意味合いで使用しているからだ。


何故、人々がこの抽象的な言葉に頼ってしまうのか考えてみた。

断言してしまうには、皆が頷く絶対的な根拠が足りない状況であったり、
自身の発言に自信が無い、又は断言することによってその他の可能性が潰されるかもしれない恐怖、
あるいは勿体ない精神や保守的な考えから、
そういった不確定的表現に繋がっているのだと私は考える。

確かに、何かにつけて言い切ってしまうのは
本当に怖いことだと思う。

インターネットや独自で隅々まで調べ尽くし、
それに基づく根拠や、皆が納得し賛成する確定的な自信があれば話はまた別だが、
やはり心のどこかに不確かな不安があり、
保身に走りたくもなる。
自分の発言によって、誰かの何かが変わるかもしれないのは、正直怖い。

そんな時、こういった副詞達は
本当に便利だと思う。

無責任で人任せな印象もあるが、
中には色々考えた末の"たぶん"の可能性もある。

時には友人の相談にのった際、
相手の立場になって物事を発言する瞬間があるだろう。
その時、こういう考えからこういう行動を取ったのだろうと断言するのは傲慢かもしれない、
という考えから"たぶん"などの副詞を使うこともあるはずだ。

私にとっては、それは優しさだと捉える。
他人の気持ちを考えられる人なんだなと。


だが、時にその"たぶん"に腹を立てることもある。

大きなプロジェクトの説明が曖昧だったり、
引越しの際の仲介業者の契約説明がおざなりだったり、
旅行の際、新幹線の出発時刻を確認した時に
"たぶん AM09:45分発だったと思う"
と言われた時には、
「いや、たぶんって何?」と思ってしまう。

結局は何事も使い分けが大事だ。

上手いこと使いこなすことが出来れば、
「たぶん」という言葉は、最強なのだ。



これからもつーかおっと。

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