大学受験の先にはアイデンティティの喪失が待っていて。
塾講師として働いていると否応なくどこかせわしい気持ちにさせられる12月。受験の最終追い込み時期。不安で地に足着かない生徒も堅実に勉強を続ける生徒もいる中で不意に思い出したのは去年のこと。
二浪目の受験機会を前に共通テストの追い込みをしていた私、胸の内には迫りくる本番への不安と仕上がり切ってない自分への怒り、それでも志望校への消えない渇望。そんな不安定な情緒の中に「受験生としての自分が居なくなることへの恐怖」が顔をのぞかせていた気がする。
長く受験生として過ごした私のアイデンティティは遮二無二受験勉強をしている自分自身。それがもうあと数十日で失われる。ともすれば今死に物狂いで3年間すべてをなげうってきた知識の大半は1年後にはきっと使い物にならなくなっているんだろう。この虚無感の計り知れなさたるや。
案の定今の私はもう去年のように数3の積分計算をバリバリ解き進められはしないし、自力で楽しく古文を読み切ることもできない。
しかも私は希い続けた学校にとうとう手を伸ばすことができなかったわけで。受験直後はもう本当に何もかも失ったように感じていた。
もうさらに1年受験生というフィールドにしがみついて過ごす選択肢もあった。でもその選択肢は受験と名の付く目標を手放す変化を恐れた逃げのようなものだったろう。二浪目の最後の入試を終えた時点でもうこれ以上は頑張れないと、もう十分だと良くも悪くも満足してしまったから。
もがき苦しんだフィールドを降りて、次の世界で当時の自分を省みて抱くのは、失うのが怖いと思えるほどにこだわって時間をかけて努力してきたものがある過去の自分自身への尊さで。特に勉学なんて学び続けなければ、使い続けなければ瓦解していく一方。それを磨き続けようとしていた自分にようやく価値を見出せ始めた今、また当時みたいに手放したくないと思えるほどに夢中になれる何かを求めている。