【時には昔の話をしようか】
こんにゃちは🐈、猫月だんくるおすてうすです。
いつもは、保育に活かせる技術、情報をお伝えしようとしているのですが、
今回は、私の保育エピソードを載せようと思います。
何分、私の記憶を辿っているので、もしかすると実際の事実を誇張している箇所もあるかも知れません。
(脳は、嘘をつく。記憶は、捏造される😁)
ご興味のある方は、覗いていってくださいませー🤗
○4月上旬に、持ち上がり担任でない年長クラス24名(うち肢体不自由児1名)をシングルで保育した話ーー
(タイトルが長いw)
ブラックな話をしようというのではありません、そういう状況があったという話です。
その日の保育が、シングルになった経緯です
その年長クラスは、私と異動者、新規採用の保育補助(保育士資格無し)の3名担任でした。
持ち上がりではありませんが、私は3歳児に彼らを担任しておりました。
新しく担任になったお二人は、お子さんの入学式があり、同じ日に休暇を取る事は前年度末から分かっていました。
4月の頭というと、新入園児がワンワン😭元気な時期です。
乳児(未満児)クラスからの応援は望めませんし、むしろ副園長が応援に入ります。
年少は、新入園の要支援児がおり、そちらに人手が必要でした。
年中も、複数の要支援児がいるため、同じく応援体制は難しい。
私の考えとしては、慣れない保育士が応援に入るよりも、シングルの方が子どもたちが落ち着くと考えました。
ただ、給食の配膳など、クラス外での仕事は園長へお願いする事にしました。
○その日は、どんな保育だったか――
この時勤めていた保育園は、9時30分までは朝夕保育の補助職員がいます。それまでに、掃除🧹や支援用バギー🦽の準備をお願いしておけば、物理的な問題はクリアになります。
朝保育からクラスへの引き継ぎが済んだ時点で、園庭へ出ることにしました。室内で遊びたい子は、子どもたちに危険な行為を確認した上で、補助職員が把握してもらうようにしました。
園庭で遊んでいる子たちは、私が肢体不自由児(Aちゃんとしましょう)の傍らにいなければならないこと、登園の受け入れがあることを承知しているので、遊びの内容もそれとなく工夫してくれています。フラフープをなわとびで結んで、テントごっこ⛺をするのがこの時のブームでした。まだ登園時間なので、ボールを使う遊びや鬼ごっこも始まりません。砂場や固定遊具で遊ぶ子がほとんどです。
登園時間も過ぎ、10時頃には水分補給🍵をするために室内へ戻りました。
年長児ということもあり、時計を意識した保育を進めていたので、時限は事前に伝えてあります。3歳児の時にも、時計盤の数字で行動する経験はしていたので、子どもたちもお手の物です。
水分を補給🍵と並行して、私はAちゃんのオムツ替えをします(専用のパーティションでコーナは仕切っています)。Aちゃんもお茶を飲み終えた時点で、朝の会へ。
この時はAちゃんからも私は離れるのですが、隣に面倒見の良い子(Bちゃん)についてもらいました。つぶさに表情を見てくれるので、Aちゃんに何か変化があればすぐに知らせてくれました。
朝の会の中で、給食前には着替えを済ませることを確認し、この日は何をして遊ぶかを相談します。いわゆる”主活動”の時間ですが、クーゲルバーンとカプラがしたいというので、その準備だけをして、あとは時間まで各々で過ごしてもらいました。Aちゃんは、椅子から降りて私とストレッチなど身体を動かしたり、友だちとままごとをしたりして遊びました。
給食は、ワゴンだけ園長に運んでもらい、配膳は子どもたちが自身で行います。この時はまだ午睡があったので、私は午睡中に休憩を取り、保育日誌を書きます。
午後は、布団を子どもたちに上げてもらい、おやつの準備は給食と同様です。16時になると補助職員が来ますので、降園の準備をしながら、夕方保育の職員へと引き継ぎます。
これが、大まかなこの日の保育でした。
○信ずれば通ず――
文章にすると、事も無げにこの日の保育を過ごしたように思われましたでしょうか。
実際、トラブルなどはなく、もちろん私は一日気を張って過ごしたので気疲れはしましたが、クラスは無事に一日を過ごすことができました。
ポイントは、「信ずれば通ず」です。
活動の切り替わりの際に、私は子どもたちに声を掛けています。
例えば、「今は保育園に来る友だち👶がいる時間だから、どんな遊び方をしたら良いと思う?」「ボールで遊ぶためには、どうすれば良いと思う?」などです。
禁止も制約もせず、自分のやりたいことができる状況を、自分たちで考えてもらいます。その状況を作るか、待つか、それを判断するのは子どもたちです。
考えを認めた上で、更に課題を提起することはします。登園時間が過ぎたとして、ボール⚽をどこでも蹴って良いかといえば、そうではないわけで、どこでどんな風になら遊べるか、そこも考えてもらった上で遊びました。
Aちゃんに対する援助も、子どもたちの手を借りる場面があります。
先述の通り、クラス全体へ話しかけている時は、彼(彼女)の傍を離れます。常に隣にいてもらうこともできますが、クラスの一員として考えた場合に、その対応はフェアでしょうか。私は、あくまで一員としてみんなの中にいることを重視しました。
Bちゃんも、のんびりとした子でした。ですが、気が優しく、Aちゃんの面倒見が良いのです。AちゃんもBちゃんを意識しているので、表情でいろいろと感情を表していました。Bちゃんは、何となくAちゃんとコミュニケーションできるのです。その二人の関係性を信頼して、委ねたのです。
もう一つは、食事の配膳です。この子たちは、年中児に配膳をしていませんでした。ですが、私は進級と同時に配膳と下膳を彼らに任せています。給食の量加減も、個々の判断を尊重しています。
食べ物🍚への約束はありました。「苦手な物も一口は食べて、味は知って欲しい」「ぞんざいに扱わない」ということです。
この「ぞんざいに扱わない」の中には、器を持って食べることも含んでいます。こぼすような食べ方は、食べ物を粗末にしているということです。「マナーだから守る」のではなく、食べ物を大事にするから、食具は適切に扱うという伝え方です。
午睡😴についても知らせていることがありました。年長児ともなれば、眠たくない子も出てきます。私が伝えていたのは、「寝たくない思いは尊重する。それと同じく、あなたも友だちの寝たい気持ちを大事にして欲しい」です。
「静かにしなさい」「寝なさい」と言ったところで、そこにあるのは大人の都合です。眠たくないことは、止められません。眠たくないことは受け止めつつ、あなたも友だちの思いを受け止めて欲しいとお願いするのみです。
この子たちに限って言えば、4月時点は全員眠っていましたが(笑)
○子どもたちに委ねることも、保育環境――
年長児とはいえ、生活スキル👕の速度には個人差があります。一斉に取り組めば、早い子はゆっくりしている子を待つ時間が生まれます。そういう時間には、得てしてトラブルが起きやすいものです。手持ち無沙汰が、無駄な😠トラブル😠を誘発するのです。
「給食前には着替えを済ませる」、これが配慮の一つです。子どもたちに普段から問い掛けていたのは、何のために着替えをするか、でした。保育士が指示をするから着替えるのでは、生活スキルは身に付きません。
外で遊んだ服はどうなっているか、を想像してもらってきたのです。砂場で遊べば砂が付く、土埃を上げれば土が付く、目には見えないけれど雑菌もいる、そういうことを知らせてきた上で、着替えが必要か不要かを考えてもらってきました。服が汚れた時点で着替える、外遊びから帰ったら着替える、汗をかいたから着替える、きれいな服で食事をする。だから、着替えのタイミングは決めず、子どもたちに委ねます。
一斉でなければ、他の子がその子を待つ時間は生まれません。のんびり屋の子たちも、給食準備が始まる時間は承知していますから、それまでに着替えを済ませようとします。着替えをするから、玩具の片付けもします。着替えを見られないように、パーティションも持ってきます。子どもたちに委ねると、保育士からの指示も減ります。穏やかに時間を過ごせるのです。
○実は、背景がある――
この日の保育が無事に過ごせたのは、子どもたちの力によるところが大きいです。申し訳ないことですが、やはりAちゃんに手を掛ける場面が多いですので。ただ、遮二無二「上手く保育をするんだ!」と意気込んでいたのでは、いろいろと支障が起きたのではないかな、とも思います。
私がこういう保育をできたのは、年少時に担任していたことがやはり大きいです。3歳時点で彼らができることを見てきているので、4月当初でも年長になった彼らを信頼することができたのです。
頼りにしたことには応えてくれるだろう。自分のことはどうにか自分でやってくれるだろう。困った時は助けてくれるだろう。保育士が環境さえ整えれば、彼らはそういう力を発揮してくれるだろう。
もちろん、個々に得手と不得手がありますから、そこは援助しなければなりません。それは、Aちゃんを介助するのと同様です。そのために保育士は、子どもたちの社会の中にいるのですから。任せたからには、見届けるのも保育です。頑張りを認める、助かったことに感謝する、成長した姿に言葉を掛ける、感動に共感する。そこは、間違っても怠ってはならないことです。
○振り返ってみて――
この日の保育が良かったかどうかは、正直分かりません。子どもたちは持っている力を発揮してくれたと思いますが、新たな何かを提供できるような保育内容ではありませんでした。もちろん、この日だけで保育は完結するわけではないので、通過点としてみれば及第点ではあったと思います。
保育士の体制をきちんと整えて保育に臨めるのであれば、それが良いことには変わりありません。あくまで、急場凌ぎであったことは否めません。
ただ、そこは臨機応変なのかな、とも思います。年中クラスから応援をもらうことも、可能ではあったのです。ですが、私がシングルで保育する方が環境が整うと、私は判断しました。悪い表現をするならば、他の保育士が応援にきたら、保育が乱れると考えたのです。
「子どもたちを信頼した保育が、できるかどうか」
細かくは事情を申し上げませんが、そこが分水嶺であると、私は考えます。
私は子どもたちを信頼していました。だから、みんなでこの日を楽しく過ごせることができた。と、今でも思っています。
つらつらと、今回は思い出語りをしました。おそらくは、何かの参考になるような記事ではないと思います。あくまで、私という一保育士の、とある日のエピソードですので😄
ただ、この日の保育の判断にも、発達心理学や行動心理学、アドラー心理学といった知識は活用しております。個人の経験則や、思い込みによる保育は、行っておりません。
あくまで保育の専門性の基に、保育は組み上げられるものです(笑)
では、今回はこの辺で失礼します。