置かれた場所で咲きなさい
これは、私が読んだ本の題名である。わたしは、よく人を羨ましがること、そして、落ち込んでしまうことが多い。
あるサイトで、『人と比べてしまう人は』この本がおすすめとあった。そこで、すぐに注文してこの本を読んだ。
私の感想としては、『この自分として生きていこう』と思えた素晴らしい作品だったことだった。それを、たくさんの素晴らしい言葉の中から、ピッアップしてお伝えさせていただこう。
まずは、主(神)は問われる「何を望むか」のあとには「無名」という言葉があった。私が比べる人のなかには、人から称賛されるひとが多くいる。
わたしは、その人の能力や容姿はもちろんのこと、名声も欲しかったのかもしれない。
ところで、神様に祈る時に、多くの人は物や健康、幸せなどをお願いするだろう。それを、「無名」をお願いするとは!?
私が素晴らしいことをしても、それを人は知らない。陰で徳をつむ、名声を求めない。そんな願いかたあるか?って驚いてしまった。
けれども、実際に無名を求める自分でいたらどれだけ楽であろうか?このnoteでさえ、どこかいいね!が気になってしまう私だが、無名を求める私であればどれだけ悩む時間が減るだろうか?
次にわたしは、『ふがいない自分と生きていく』という筆者の言葉が心に響いた。歳をとれば、失うものが増えていく、しかしそれでも前を向いて生きていくしかない。
わたしは、この言葉からひらめきを得た。何かを失うこの『何か』ってもともと自分が持っていた物だっけ?と言うことである?答えはノーである。
与えられたものを、もう一度お返しするだけ。そう考えると落ちつきが出てくる。またこうも言っている。
生きてから死ぬまで、ずっと自分と一緒なのは自分だって。その言葉を思うと、一番の味方にならなくては、と思いを換えることができた。
また、筆者はあるとき。「ひとのいのちも、ものも、両手でいただきたい」という言葉に出会ったとある。
ここのとき筆者は、こう捉えたのだった。もらって嬉しいことだけでなく、辛いことが起こったり、嫌なことをされたとしても、『両手でいただく』そうです
わたしは、最近起こった嫌なことを『両手でいただく』を実際に行いました。一瞬の痛みは伴いますが、なんだか心が落ち着き、受け入れられるという体験をしました。
私は、何か嫌なことが起こると、反発して嫌な気分を引きずってしまうことがある。しかし、この方法では、それを受け入れられて過去の経験として流していくことが出きると感じた。
さて私は、人を羨ましがり、落ち込むところがあるがこの本を読んでどうなったのか?
それがなくなった訳ではないが、いくつかの道具を知ることができたと思う。「無名を」願い、自分を抱きしめ、両手でうけとること。
私は、これらの道具を使って。私として生きていけそうだ、そう思えている。