5000
5000兆円欲しい!
ほしいけど、そういう話ではなくて、これまでのメール相談の対応実績を足し算したら5000通を超えていましたというお話。
電話相談の方は週1回も行っていないので8年で1000件にも満たないでしょうが、メールはほぼ毎日のことなので3~4年でこれです。一応断っておくと、個人ではなく団体職員あるいはボランティアとして私が担当した数です。
多いと感じるか少ないと感じるかはおいておいて、単純にそんなにやってたかーという感じです。継続してやりとりする人もいるので、5000通がすなわち5000人というわけではないのですが、統計や研究発表の母数としてみるとちょっとした根拠が示せそうな数字にも思えます。
それだけ相手をしてきたのなら、タイプとかパターンがわかってくるだろうし、何通りかの定型文を使いまわして返せるようになる気もしますが、残念ながらそういうものはありません。絶望的に思いつめるようなとき、何が支えになるかと言えば、人がそばに居てくれるあたたかさや、辛さをわかってもらえる安心に尽きます。一つひとつのメール、つまり一人ひとりに向き合って、受け取った気持ちを紡ぎ出すように返事をしているので、たとえ「死にたい」一言だけのメールへの返信であっても、偶然でない限りまったく同じものはないつもりです。もちろん、言葉選びとか癖や趣味の部分で似た表現になることはありますが、こういう相談にはこう返すというような、型にあてはめて考えるようなことはしません。だから改めて数えると、そんなにやってたかーという感じです。
連休明け、特に夏休みや、新年度になるタイミングでは死にたいという人からのメールが殺到します。学校に行きたくないという中高生も多いですし、受験や就活、看護学生の実習無理もタイミング的に重なったりします。人間関係のことも多いです。親とのこと、夫婦間に子どもや孫のこと、兄弟、家族に限らず近所の人のこと、役所の人、病院の先生、etc.
1日10通前後が健やかな気持ちで続けられる許容ラインなのですが、一番多いときは20も30も受信トレイに未読メールがたまり、PCの前でひっくり返ります。内容がどうという話ではなく、たくさん読んで、たくさん書くのがただ疲れるので大変。
いい人だからとか、優しいからやっているんだとか、まるで人間ができているかのように見られることもあるのですが、全然そんなことはありません。スピード違反で捕まったこともあれば、赤信号ぎりぎりで渡ったときに後ろの車もついてくると「おいお前はくんな」と思うので、カンダタの素質あるなとまで自分では思います。
やり方を知っているというか、やり方がわかったというか、現状では誰にでもできることじゃないんだと思うから続けているようなところはあります。要領さえわかればやる気次第だという話をしましたが、なかなか要領を伝えきれずにもがいている最中でもあります。
この時間は相談員としての時間ね、と自分でスイッチをいれて、プライベートでは自分を優先。ある意味、仕事だからとやっているのかもしれません。でもその仕事のできる人が世の中に少ないから生きづらい部分があるのだろうなと相談を受けていて思います。できる人を増やしていきたいので、講演や研修の依頼をください、というお話でした。