【本】『野の古典』(安田登/紀伊國屋書店)
こんにちは、『猫の泉 読書会』主宰の「みわみわ」です。
先日のnoteで「プラトンになり切って『饗宴』を朗読する」読書会のお知らせをしました。
実は、この『饗宴』朗読読書会のきっかけは、安田登さんの『野の古典』だったんです。
いや、正確には、『野の古典』の出版記念として、1月13日にゲンロンカフェにて、作者の安田登さんと文筆家でゲーム作家である山本貴光さんの対談イベント「普段使いのための古典講義」でした。オンラインで視聴していたんです。
安田さんが「難しい本は、文章の語尾を口語体に変えて声に出して読んで、作者になりきって講義ごっこをする。友人は生徒役で、聞いていて分からないところを質問する」というごっこ遊びをしていた、といったようなことを言われていました。
それいいな、やってみよう♪ と、イベントが終わってから私も、気になる本を手に取って、すこしずつ声に出して読んでみました。すると、実際に理解しやすくなったのがわかりました。文章の流れがつかみやすくなるのは確かです。
ただし、人にもよるのでしょうが、私は音読するのは10分が限界でした。喉が痛くなってしまって…。声の出し方が悪いのかもしれません。
だったら、友を募ろう! 何人かで交代で読めば長く読み続けられるだろう! と、読書会のお題にした次第です。
実は通常の「猫の泉 読書会」は、課題本を事前に読み、気になることを参加者同士でシェアする会ですが、時に参加者全員で交代で音読する会があっても面白いですから。(引き続き、参加者を募集しております。)
さて、『野の古典』は日本の古典を全二十四講でほぼ年代順に、楽しく解説している本です。(イケメンな浦島太郎については、第四講をご覧ください。声に出して読んで楽しい南総里見八犬伝は第二十三講です。)
今日は「第十講 呪詞としての和歌」を読みました。
藤原定家の和歌で、
来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに
焼くや藻塩の身もこがれつつ
の解説にびっくりしました。まつ・待つ・松と、焦がれという掛詞によって、幾重にも意味をかけていたと知りました。そんなことぼんやり読んでいたからわからなかったし知らなかった。なんて残念だったんだろうと。
こんな風に、読めば読むほど、古典を知りたくなる本です。
■本日の一冊『野の古典』(安田登/紀伊國屋書店)