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【本】数学者の関孝和:『江戸の科学者 - 西洋に挑んだ異才列伝』(新戸雅章/平凡社新書)
こんにちは、『猫の泉 読書会』主宰の「みわみわ」です。
今日のご紹介は、江戸の科学者11人のことがまとめられている本です。
まだ2人分しか読んでいないですが、個人としての日本人科学者の研究は世界レベルにも負けていなかったことがわかってなんだかうれしい本です。
今日は、数学者の関孝和の章をまとめます。
わたしは大学では数学専攻だったんですけれど、江戸時代の数学の話は大学で話題にならなかったですね。大学を卒業してから、関孝和の名をなんとなく聞きかじりましたが、この本でようやっと、いろいろわかりました。
〇関孝和の業績
・円周率の計算で有名
正131,072角形を使って、円周率を小数点以下10桁までもとめた。
・連立方程式の解を求める公式をつくる過程で行列式を発見した
・n次方程式の近似的な解を求める方法を考案した
・ベルヌーイ数(分数の級数)を発見 ★後で調べます
・円理(円に関する計算)の創始
〇関孝和の人生
・時代はニュートンとほぼ同じ
・およそ1640年頃生まれたとされている。
・徳川三代将軍家光の三男で甲府宰相と呼ばれた徳川綱重とその息子(やがて六代将軍になる綱豊)に仕える
〇独学で学ぶ
・きっかけは吉田光由『塵劫記』1627年 とされている
・太平の世になり、和算の知識が求められていて、大ベストセラーに
〇後世の研究者への挑戦状:遺題
〇和算以外にも活躍
・暦の制定(採用されず)
・江戸城のからくり時計修理
〇後継者に恵まれる
・建部賢弘
〇家族運に恵まれず
・関孝和の死後、家督を継いだ養子・新七郎の不手際があり、
御家断絶になった。そのため、孝和に関する資料も失われた。
「御家断絶」というと、時代劇でよく聞く言葉ですが、一人の過失を、連帯責任で「家」が負うている江戸時代の仕組みであることを実感しました。
もしかすると現代の日本人にもこの考え方が残っているのかもしれませんね。
その結果、残念なことに、日本人の和算の歴史を伝えるはずであった大切な資料が散逸してしまったんですね。
■本日の一冊:『江戸の科学者 - 西洋に挑んだ異才列伝』(新戸雅章/平凡社新書)