【100分de名著】『先祖の話』(柳田国男)
こんにちは、『猫の泉 読書会』主宰の「みわみわ」です。
この3月のNHK「100分de名著」の二回目の名著は、『先祖の話』(柳田国男)です。大事な人の「不在」と現実をどう折り合いをつけるか、という死者論です。
わたしの場合は、何か判断に困る時に、よく知っている死者の中でその問題について一番頼りになりそうな人に向かって、「いまここにいたらどうするだろう?」話しかけて、答えを想像します。
死者は語る言葉にブレがありませんからね。
生者の特別な事情や都合なんか知らんわ! って言いますので、へなちょこな生者のほうが、よっぽど死者に勇気づけられるというものです。
さて、柳田国男の『先祖の話』によると、常民(市井に普通に暮らす人々)は死者について、このように考えていたそうです。まとめてみました。
1.人は死んでもこの国の中に、霊は留まって遠くへは行かない。
2.生者と死者の行き来は自由。春秋の祭り以外にも、どちらかが願いさえすれば可能である。
3.生人のいまわの時の願いが、死後に必ず達成する。
国外で亡くなった方の遺骨を日本に持ち帰ることを大事にするのは、上記1の考えから来ているのかもしれません。
上記2もわかります。お墓も季節の節目に掃除して気持ちの切り替えにはよいけれども、別にお墓の前に限らず、死者との対話はいつでもできます。
上記3については、「畳の上で死ねる」と言う言葉がこれに近いのかもしれません。いまわの時にしっかり願う環境にあることを願う気持ちですね。
番組での、「死者との対話は言葉によるものではない」という言葉にわたしも納得しました。
わたしも、人が亡くなった後の、生活空間での「不在」を納得してゆくのに時間がかかりました。
事情が許す限り、納得できる順番で/納得できるタイミングで死者と対話しながら、その空隙を埋めてゆきました。
その結果、物理的な隙間が無くなっても、心の中に、降りて行って死者と語る小部屋ができます。
たとえば、「このコロナ禍を体験しなくて済んで良かったですね~。あなたのような面倒くさがりには、マスクで外出なんて、きっとものすごく大変だったことでしょうよ。」なんて話しかけます。
でもよく考えると、その対話は、こういった言葉で話すわけでもないです。わたしは映像や音声を含んだ記憶をフルに活用した対話だと思っています。
こういった「死者との対話」に関して、これまで誰とも話をしたことがなかったので、この番組を観て、テキストも読んで、みんな同じようなことをやっていると知りました。
つまりわたしも「常民」の一人だと分かって、ちょっと嬉しくなりました。
■本日の一冊 NHK 100分 de 名著 『災害を考える』(NHK出版 日本放送協会 (編集) )
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