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【本】『火定』(澤田瞳子/PHP文芸文庫)

こんにちは、『猫の泉 読書会』主宰の「みわみわ」です。

今日は、天平時代の奈良の都を舞台に、天然痘のバンデミックを、医者見習いの若者の眼から見た歴史小説、澤田瞳子の『火定』をご紹介します。


時は天平九年(七三七)の四月。
あの大化の改新の実行者「中臣鎌足」の子である、藤原不比等の息子四人が政治を握っていた時代のお話です。

主人公は、庶民向けの病院(施薬院)で働く下級役人の蜂田名代。
藤原家から天皇に嫁いだ女性が建てた病院なので、そこで働く人はいわゆる公務員=役人なんですね。

慈善病院なので、偉い人に会えるきっかけもないから、出世の見込みが無い職場に配属されちゃった、残念~と思って、主人公の名代は不満たらたらで働いています。

この名代の目をとおして、新羅帰りの使者が持ち帰った天然痘が、奈良の都にひろがっていき、確たる治療法が無いまま、絶望した民衆が暴徒と化してゆく様子が描かれています。

良くない人たちが登場します。
民の安全よりも己の体面を守った役人、冤罪で投獄されて恨み満タンの医師、天然痘治癒のインチキお札で大儲けしながら、ハッタリがどこまで通用するのか確かめたくて仕方がない詐欺師、天然痘が何十年も前に流行したときの知識を持ちながら家屋に引き籠る薬屋。

一方で、寝食を忘れて病と闘う医師、感染した孤児達を見捨てなかった僧侶、愛する人との再会を信じて病院で働く女薬司、治療法を求める若者を援護する官僚といった立派な人達もちゃんといます。

この物語が書かれたのはコロナよりも前なのですが、ちょっと生々しいです。

物語のお約束かと思いますが、弱き善人はみんな酷い目に遭います。

例えば孤児たちのリーダー格の太魚は、盗み癖のある問題児だったが、引き籠る薬屋には差し入れをしてやり、感染に伴い土蔵へ閉鎖隔離される処置にも粛々と従います。

孤児たちを見守っていた彼には自分のことだけしか考えられない主人公たちとは違う広い視点を持っていました。

物語は治療法を書いた書物の再発見で急展開します。
治療法を探すことを考え抜いた名代は、うまいことその書物を発見して、上司と共にその治療法の効果を確認して世間に広める手伝いをします。

医術への信念すら持てなかったほど嫌々仕事をしていた名代です。もしもその書物が無ければ、どれほど看病しても死んでゆく患者の多さに打ちのめされてそのまま終わったと思います。

治療法を正確に記録し、それを保管し次世代に手渡せるように整える仕事は尊いですね。上手くいかなかったことも記録に残せば次世代の知恵になりうるからです。

わたしはもともと時代小説は読まない方です。それにもかかわわらず、歴史的な知識が無くてもとても読みやすくて、病と闘う人々の気持ちに共感して読めました。

ただひとつ、本の題名である「火定(かじょう)」について主人公が考える場面だけは違和感がありました。

辞書によると、火定とは「仏道の修行者が火の中に自らの身を投げて死ぬこと」だそうです。

主人公の名代は、無残に死んでいった人々の命はこの世の穢れを払い続ける業火へ捧げられたようなものだと考えたようです。

たとえ患者たちの死の様子が次の医学向上に役立ったことを指すのだとしても、もやもやします。だって、病で死んだ人々は、自ら命を捧げたわけではないです。
そもそも、病に苦しんで死んだ患者たちの生死に「意味が無い」なんて決めつける方が失礼じゃないですか。
どれだけ苦しくて見かけはみじめだったとしても、意味なんて本人が決めることでしょ? 余計なお世話ですよ。

なのに主人公は、失礼しちゃうっていう自覚もないまま、簡単に180度反転して「火定」って考える人なんです。もっと嫌なことが起きたら、また反転して元に戻るかもしれないじゃないですか…なんてね、むきになってこの場面さえなければ、わたしはやるときは熱血で頑張る主人公を好きになれたと思うんだけど…ちょっと残念でした。

つまり、こんなふうにわたしが没頭したくらいに面白い本です。

■本日の一冊:『火定』(澤田瞳子/PHP文芸文庫)

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