【本】『空とぶ猫』(北村 太郎/港の人)
こんにちは、『猫の泉 読書会』主宰の「みわみわ」です。
今日は、北村 太郎の『空とぶ猫』をご紹介します。
さっき、ひさしぶりに行った大型書店(ここのところ休業していたんです)でみつけて、表紙に一目ぼれして買ってしまいました。このブログの冒頭にも表紙の一部をアップしています。飄々として、いい感じの猫でしょう?
詩人・北村太郎による詩とエッセイの本ですが、なんと、この猫の絵も著者によるものだそうです。猫と著者の写真も載っていて、猫好きにはたまりません♪
北村太郎は荒地派の詩人で、鮎川信夫、田村隆一と共に詩誌「荒地」を創刊した。そして、晩年に田村隆一の何番目かの奥さんと恋仲になった…程度のなら知っていました。
猫のいる生活や、猫の出てくる詩を読み進むうちに、「この二年間に、七回引っ越した」(頁83)という記述が出てきて、「猫が飼えない借家」に暮らしていて、外猫は飼い猫と違って、簡単には触らせてくれないと書いてあります。猫を抱くのが大好きな北村太郎ですので、それを寂しがっている様子から、ただならぬ生活の変化があったことが察せられます。
やがて、「今借りている家」の「還暦を迎えた女性の大家」が、「猫を持ち込んできた」話になります。ははぁ、この大家が田村和子さんなんだな? と想像して、北村太郎の猫に物語を味わいながら、その奥にある北村太郎の状況も推測しながら読み進めました。
だからね、この本の最後にある、田村和子さんの「タローさんとサブロー」を読んで、初めて、詩人が一種の強がりで書かなかった部分がわかりました。猫には優しい人がわかるんですよね。不覚にも泣きました。
さて、詩人の本なのだから詩の話もしましょう。
猫のことばかり書いている北村太郎の詩は、とても楽しそうです。
冒頭の「猫なるもの」は、猫を「ヒトのおんな」になぞらえていて、わたしは猫はなんにでもなぞらえられると思いますので、つまり「無鉄砲な冒険家」だっていい、だから「ヒトのおんな」も面白いです。
どの詩も、北村太郎の猫を見る眼差しの優しさがにじみでていて素敵です。それと同時に、北村太郎は猫のなかに白骨や死のイメージもみているところがあります。その怖さも、魅力です。
ところが、短編「鳥の影」を読むと、北村太郎と言う人はこうやって朗らかで鋭いだけのとは別の部分があるのもわかります。
132頁の「宝井戸其角、芭蕉殺害説」のあたりとか、141頁の「人間の定義を一言でいってごらん」のあたりの濃密な言葉の運び具合は、やっぱり奇想ともいえる展開がとても面白くて、北村太郎の頭の中はきっとこういう動きが通常で、こんな言葉を頭の中でぐるぐる回していって、詩作につながっているのだろうなと思いました。
今度、北村太郎の詩集も読んでみようと思います。
その他、本書で、北村太郎が言及していて、わたしが読みたくなったのはこちらです。
〇1976年5月号の雑誌「ミセス」にて、小松左京が猫のこと書いてあるようです。
〇『ふしぎ猫マキャヴィティ』(T・S・エリオットの詩集を北村太郎が翻訳)
〇ボードレールの詩「猫」
〇フランソワ・ヴィヨンの「むかしの美女のバラード」
〇ルナール『博物誌』の飼い犬ポアンチュウのこと
■本日の一冊:『空とぶ猫』(北村 太郎/港の人)