マンダリン・ブラフ
本牧ふ頭の付け根。
大きなトラックが行き交う広い道路の傍らに、
こんもりとした小さな山がある。
横浜が開港したころは、
ここまでが海だった。
外国からやってくる船は、
横浜の港へ入る目印として、
この岸壁、
マンダリン・ブラフを見つめたのだ。
マンダリン・ブラフという名前は、
岸壁の色が蜜柑色だったことから名付けられたらしい。
ペリーが持っていた海図にも、
その名が刻まれているそうだ。
本当の名前は、本牧十二天。
本牧岬の先端で、
いまの本牧神社の前身にあたる社があったとか。
地元にとっては鎮守の森だ。
いまではすっかり海から遠くなり、
当時の面影はなくなってしまったようだが、
戦後の接収、返還後は国有地となり、
国の売却話から、横浜市が買い取り、
まわりが整備されて公園になった。
横浜の歴史の地が、ここにある。