失った日のことを
上野へパンダを見に行ってきた。
シャンシャンを見るのは、これで3回目。可愛さに、年間パスポートを買ってしまった。たかがパンダ、されどパンダ。
今日から、親離れ、子離れのための母子分離が始まっていて、午前中は別々、午後は一緒だったそうだ。ちょうど一緒のシーンを見ることができた。
少し前のブログに、シャンシャンに希望を見ている、というようなことを書いた。シャンシャンが生まれたのは、3度目の手術の直前だったからだ。
母子分離のニュースを受けて、昨日の夕刊の寸評にもパンダの話題が取り上げられていた。それを読みながら、鼻の奥の方がツーンとしながら、そうだったのかと気づいたことがある。
シャンシャンとシンシンの姿に、母である私は、息子との幼い日を被せていたのかもしれない。
息子は、1歳7ヶ月で急性脳症を発症し、身体的にも知的にも重度の障害を追った。これからもっともっと、一緒に転がって、走りまわって、遊ぶ年齢だった。
失った日を、この親子に見ているのかもしれない。
無邪気なシャンシャンの姿に、息子の幼い頃の顔が重なって見えた。
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