アイデンティティがなぁーいので留学で頑張って探すよの巻
私は今年の9月から半年間、交換留学生として台湾に渡航する。
このnoteの執筆目的としては、過去から現在にいたるまで、自分にとって留学がどんな意味を持った存在であるのかを明確にするということ。
たくさん思ったことがあっても、メモらないと忘れてしまうので😅
そして留学中もたまに見返して、初心に帰るため。
誰かに何かを伝えるというより、自分への備忘録として心のままに執筆していけたらと。
なんで留学したいと思ったのか?
人生を彩る方法は様々にあるわけで。その中でなぜ自分は交換留学という手段を取ったんだろう。
要約するとありきたりな言葉での表現になってしまうが、なるだけ細かく書いていきたい。
冒険して、自分の知らない世界を見たいという好奇心があるから
好奇心旺盛な自覚はわりと昔からある。興味の持ったことにはチャンスさえあればすぐに飛び込むし、本能と直感に動かされやすいタイプだ。
仲の良かった先生を介してJICAの職員さんに話を聞きに行ったり、AO入試を受けてみたり、国際協力系の早期インターンに申し込んでみたり 、何かしらのセミナーの誘いがあったら乗ってみたりと、まあそれなりに動いてきた方ではあると思う。
上記のように、身近なところで少しずつ自分の世界や価値観を広げていくことはできる。
実際に、とても良くしてくれる方々ばかりに出会えたし、今の自分の価値観形成に影響を与えてくれた存在ばかりであることは心からありがたいと思っている。
けれど、もっとワクワクすることやハッとする現実、世の中の本質を知るのにはフィールドが狭い気がしてしまう。これまで関わってくれた方々が、すこーしずつ新しい知識や価値観を分けてくれたからこそ、こう思う。
教えてもらった知識だけじゃなく、今度は自分が誰かに対して発信できるような、自分だけの考えを手に入れたい。目で見て感じたものを第一に信じていたい。人から聞いた話はいつか風化してしまうけれど、自分の心で感じたものはずっと生き続けるし、いつだってありありと語れると思うから。
新発見をするためには、知らない場所に自ら出向くことが最適だとの結論に至った。これが1つ目の理由である。
日常生活を過ごす中で、もっと深い考えを持ち、物事を広い視野で分析する力が欲しいから
これは、大学に入学してから少しずつ感じ始めたこと。特にゼミでディスカッションや発言をする時、元から蓄積してきた知識が物を言うと思った。
自分の興味分野や、それに関連する授業を受講していた時はそこからどんどん考えを派生させることができる。
でも、かなりあいまいで多義的な問いを考える時、どこの視点からそれを分析できるか?の想像(創造)力がすごく重要だし、そもそもどこに疑問を抱くのか?の視点も必要だ。
それができなければ、みんな頭を抱えて議論の場が静まってしまう。実際にゼミでのディスカッション中、何回かパンドラの箱を開けてしまったことがあった。
しかも私は現在、国際関係論、国際協力・開発を専門分野とするゼミに属している。そのような議論に対して少しでも意見や観点を持つには、実際に海外に行ってその国を見る/海外から客観的に日本を見つめることが活きてくるのではないか。
1つの国に行ってきたというだけでも、帰国後に何かを考えるにあたって、日本とその国と〜みたいに比較対象ができる。
しかも日本では当たり前だったことが向こうでは通用しないのだから、疑問や発見を生み出しやすい。これが2つ目の理由。
アイデンティティ・クライシスの脱却、自分を表現するにふさわしい言葉を見つけたいから
そして最後の理由。これが一番大きくて、しかも抽象的でなかなか説明が難しいが、なんとか書ききりたいと思う。
自分が自信を持って言える長所は今のところ見つけられていない。向いている仕事もわからなければ、自分が社会に出るイメージも正直沸かない。こんな人間が社会で活動できるのか。私が社会に貢献できることなど一体あるのだろうか。自分らしさってなんだよ。自分でもわかんねーよ。
大学入学直後からずっと思ってきたことだ。傷つくのを避けるために、1.2年の間はできるだけ将来の話や就職の話を避けてきた。
何もできない、何も将来への希望が見つけられない自分に向かって、お願いだからそんな話をしないで。そんなに笑顔で夢を語らないで。
笑顔で話を聞くものの、心の中ではずっと泣きそうになっていた。そんな状況がしばらく続いた。
なんなんだこれは、病み期か鬱手前か?そんなことを思っていたら、まさに自分にぴったりの言葉を知った。
アイデンティティ‐クライシス〘名〙 (identity crisis) 自己喪失。若者に多く見られる自己同一性の喪失。「自分は何なのか」「自分にはこの社会に生きていく能力があるのか」という疑問にぶつかり、心理的な危機状況に陥ること。
あ、これだ。心がすっとした。自分以外にも似たような人がいるのだと初めて知った。
よくも悪くも自分を偽ることが苦手で、世渡りも苦手で、不器用で。本心から思っていないことをスラスラ言えるような(言い方あれだけど褒めてる)器用な部類じゃないことを認めざるを得なかった。
部分的完璧主義というか頑固というか、本当に自分の納得したことしか自分の一部として表現したくなくて、けれどそれを見つけるのは大人だって難しくて。
「自分」を定義するまでのハードルが高すぎて、とんでもないアイデンティティ・クライシスに陥ってしまったと分析できる。
と、ここまでかなり前置きが長くなったが、アイデンティティ・クライシスからの脱却と留学をどう考えているのかを書きたい。
上の二つの理由で書いたことを総合したようなものだが、とにかく新しい環境で、自力で、知らない言葉と価値観に触れながら生活することになる。
ので、何かしら自分の考えの礎となるような出来事や失敗・成功体験、それらにもみくちゃにされながら、自分はこんなことを考えていたのか!や、こんなことに興味が湧いてきた!を獲得できる、「自分は何も感じないし、何も無い」を卒業できる最高のチャンスだと思っている。
留学行っても脱却できなかったらどうするのか?(それってあなたの感想ですよね)というクソリプも湧いてきそうであるが、ここまで読んでいただいた人には、私がどれだけ留学に掛けているのか?が少しでも伝わっていると信じているので、どうか密かに見守っていて欲しい。今思い悩んでもしゃーないので。
長々と書きましたが、めちゃめちゃ要約すると、
留学に行く理由は、
いつか自分が本当に取り組みたいことに出会えた時、それに向き合えるようなアイデンティティ、価値観、多角的思考力などのスキルを身につけておきたいから(仮)
ということにしておきます。(仮)と保険をかけておいたので、明日見返したら編集されてるかもね。
「前編」と書いてしまいましたので、そのうち後編も書きます。(書くとは言ってない)
次書くとしたら、留学するにしても、なぜ「台湾」を選んだのか?に焦点を当てる予定。
中国との情勢もビザが間に合うのかも不安ですが、今できることを全力でやっておくが吉だと思いますので、今からガリガリ君を食べます。
ガリガリ君で思い出したけど、実はワタクシ知覚過敏なので歯医者にも行っとかねば。(聞いてねーよ)
おやすみなさい!晩安!
ヘッダーのリンク貼っとこ。参考文献とかリンク明記系女子なので。
https://www.tfm.co.jp/lock/staff/onair/2010/0727/index.html
あと暇だったら聞いてみ