久々にあった友人とパスタを食べながら自分たちのアイデンティティについて語った昼下がり
「今度帰省するから会おうよ」
友人MからLINEが入った。久しぶりだ、元気にしてるのかな。
最後に会ったのは去年の年の瀬で、とんでもなく凍えながら夜の繁華街を散歩したな。実に、7ヶ月くらいぶりの再会だ。
彼女と私は高校時代の同級生で、卒業後は上京してしまったものの、こうして関係を続けてくれている数少ない大事な友人の1人である。
彼女は高校時代、学年の1,2位を常に争うくらい勉強が得意だった。さらには委員会のリーダーにも任命されるなど、人望に溢れていて勉強もできる、まさに非の打ちどころが無い人物だった。
そこら中の人と自らを比べる癖のある私ですら、彼女と自分を比較してもいろいろと違いすぎるので意味がないと思うほどずば抜けていた。過去形で書いているが、もちろん今も。
実際にその能力を生かし、他県の医学科に進学した彼女と近況報告をする。怒涛の解剖実習の単位を無事に取れたらしい。おめでとう。
私は留学を控えているので、抗体検査したらほぼゼロだったとか、ビザを取るのが大変だとか、そういうネタをぶち込んで近況報告はなんとなく終わりの雰囲気になった。
「そういやMは、医者になるとして何科になるの」
4年制大学の3年生は就活に向き合い始める時期だし、留学が終われば私もその道を辿ることになるので、将来は違えど、Mはどう考えているのかに興味があった。
「正直まだ何も決められない。いくつか見学に行って、楽しそうだとは思ったけどそれだけで、まだまだピンとこない。面接の時はずっと小児科ゴリ押ししてたけど、見学してみたらなんか違った」
意外だった。今までの彼女のキャラクター的に、低学年の頃から目標を定めてそれに向かってガッツリ行動しているものだと思っていたし、そういう答えを想定してしまっていたので、虚像を作り上げて申し訳ない気持ちと同時に親近感が湧いた。
でも、マジでわかるんだよな、自分が将来どんな形で働いているのか全く見えないしピンとこない。自分にはどんな適性があるのかわからないし、仕事において自分の「すき」と「得意」が一致することなどそうそう無いだろう。こんな人間が社会で生きていけるんだろうかと不安になる。俗にいう、アイデンティティ・クライシスというやつだ。
Mの場合は、どんな形であれ「医師」になることが決まっているので私ほど悩んでいないのかもしれないけれど。自分の悩みと同じようなことを彼女が抱えていたのを知って、ほっとしたというかなんというか。彼女もちゃんと、悩んでもがく「人間」だった。