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置かれた場所で咲けるのか

風に舞う小さな生命が、必ずしも命を繋げるかはわからない。いくら良い種子を持っていようが、懸命に芽吹こうとしようが、砂漠に着地してしまえば日の目を見ずに命を終えてしまうでしょう。

今回は少しまじめに。

私は生物学的にも性自認も「女性」である。また、現在女子大に通っているので、「性別」という観点から物事を見る機会が増えた。

そんな中、「女性」であることが原因で感じた生きづらさというか。「女性」が認められなかった環境のせいで本領を発揮できずに終わってしまったある女の子の話を通して、こんな社会になったら良いよねという話をしていきたいと思う。

剣道部は代々部長が男子と決まっていた。
私は女子だったから、副部長になるしかなかった。

「ジェンダー」授業中のグループワークで聞いて衝撃的だった、ある女の子の発言である。


彼女の他に立候補者は居なかったし、経験も競技への思いも定評があった彼女が部長になるに違いないと誰しもが思っていたところ、代々部長が男子だったからという理由で部長になれなかったらしい。


なにが衝撃的だったか。それはまず、「本当にそんな世界があるのか」という自分の無知さに客観的に気付かされたこと。そして、「これは社会ではよくあることで、常識として刷り込まれていくことなのだろう」と直感的に思ったこと。


まず一つ目に関して。中学は女子のみの運動部、高校は女子のみの文化部に所属していたため、男女が合わさった集団に属す経験を、クラス以外でしたことがなかったことが原因だと思う。

「男女の格差が〜」とか言われていても、実際に自分が経験したことがなかったし、そこまで広い視野を持ち合わせてはいなかったため、どこか他人事のように思っていた。


二つ目に関しては、軽い悟りのようなものなのだと思う。

日本がジェンダー問題で厳しい評価を受けていることも知ってはいたが、実際に私と同じ年齢でこのような体験をした人を聞いたことがなかったし、仮に居たとしても簡単にカミングアウトできるものでもないだろう。


あの子は、どんな気持ちで残りの剣道部での時間を過ごしたのだろう。


彼女はたまたま早く経験したというだけで、社会に出れば自分も似たような経験をするし、いずれこのような現象に違和感すら抱かなくなるのだろうと、軽く絶望というか悲しい気持ちになったのは事実だ。常に懐疑的な視点を持つことは、より良い人生を開拓するにあたって必要不可欠であると思う。


彼女にも、部長になる権利は十分にあったはずだ。


もし、部長になるという選択ができたとしたら…?


未来なんてわからないけど、人生がもっと豊かになっていたのかもしれない。選択できることは、より良い人生を歩む上での最重要事項であると思う。「人間の安全保障」という考え方の必要性を感じる。可能性ある未来が良い。(下記参照)



今回は、自分が女性であることも踏まえて「女性」として論を展開したけれど。一方で、「男性」であることが理由で選択を制限されたケースもあるんじゃなかろうか。


性別が何であろうが、その人の人生をできる限り広げる社会であってほしい。


置かれた場所で咲くには、まだまだ不十分な土地だらけである。



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