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展望

 電車に揺られながら二十歳台の男は二切れに夢中になっていた。そのため降車駅をあっさり通り過ぎてしまった事に気付かず、そのまま連戦を続けてしまった。

「お客さん、終点ですよ」

 老齢の車掌に声を掛けられ男は我に返るが、今は時間の切らし合い中で手が忙しい。もう少し待ってくれませんか、と言いつつ脳死で自陣に金駒を打ちつける。
 それを横から見ていた車掌は思わずため息をついてしまった。「今詰みがありませんでしたか?」
 それを聞いた男は一瞬だけ手が止まる。しかし1秒も経たずに彼は通常運転へと戻る。得意のフォームから繰り出される高速タップは並のアマチュアではない。
 ……死闘の末に男は一歩の差で勝ちを呼び寄せた。いつもなら勝利の余韻に浸っているところだが、今回は即座に指摘された局面に戻り詰み筋を考え始める。駒が一枚足りないと思っていたが、改めて深く読むと確かに詰みがあった。あの短時間で詰みが見えるとはこの車掌、さては只者ではないな、と男は感心する。

 「一局お願いできますか?」

 男は乗り過ごした事も忘れ車掌に対局を申し込んだ。すると車掌は待ってましたと言わんばかりにポケットからスマホを取り出し、もちろん二切れですよね、とニヤリと笑った。私得意なんですよ、と自信ありげに言う。
 二人は過去に何度かネット上で対局していた事があった。対戦成績は車掌の方がやや上回る。驚きを隠しつつ男は得意の振り飛車穴熊をぶつけ、中盤では時間と形勢ともに差をつけられていたが十八番のタップ力で切れ勝ちに持ち込んだ。
 やはり現役勢には敵いませんな、と車掌は褒めたたえた。久しぶりに将棋を指しましたが中々楽しいものですな、とも言った。今後も続けて下さいよ、そんなに強いんですから、と咄嗟に男が反応すると、私はもう後先短い老いぼれなのでね、と遠慮したように言った。
 男は何とも言えない切なさをどう表現すればいいか分からなかった。全国大会に何度か出場経験のある彼にしてみれば、この車掌はゆうに同程度の棋力はあるのだ。たった一局だが名を残すに相応しい実力が今も健在だと感じていた。素晴らしい才能が表に出ないままひっそり消えていく事が勿体なくもあり歯がゆかしくもあった。
 一面が黒に塗りつぶされた夜空を見上げ、そういえば終電だったなと今更ながら思う。

「時代を創るのはいつだって若い人達ですよ」

 帰路に着く間際、どことなく寂しげで、それでいて期待も込められている彼の放った言葉がやけに頭から離れない。

 俺がやるしかないか――

 暗闇に向かって男は臆する事なく突き進む。そこに欲しいものがあるかのように。

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