善と悪について
世の中には、善と悪もないと考える人もいると思いますが、人間は正しさなしには生きられない生き物です。
「善も悪も存在しない」と唱えても、「善も悪も存在しない」というのが「正しい」という自分は疑えないので人間は何が正しいのか、悪いのか、考える必要があります
絶対悪について
悪とは基本的に他人の権利を侵害する行為ということですが。
では究極の悪とはどういうものか。
それは、行き過ぎた善。
極端に偏った善は悪になる。
歴史上の万単位で大量虐殺をしてきた時の権力者達。
彼らは己の正しさや正義のために行なってきた行為のためで逆にいえば、人間は自分が正しいと思えばどこまでも残酷になれる。と言えます。
皮肉にも、正しいさが逆に悪になるということです。
絶対善について
絶対悪が存在するのなら、絶対善も存在します。
過酷な運命に対してそれから目を逸らさずに些細なことにも喜びを感じることです。
例を挙げるなら「夜と霧」の著者、ドクターフランクル先生が絶対善を体現したといえるでしょう。
本当に文字通り何もかも剥ぎ取られた状態で、彼は収容所から沈みゆく夕陽を見て真の善と世界の美しいさを見たことでしょう。
彼の残していった名言などがありますが、真の善を生きるとは、過酷な状況に対して人生が「さぁ、この状況どう生きるの?」と語りかけてくる、それに私達は正しく答えて生きしかない。と唱えています。
本当の善とは、極限状態の中の小さな希望の中でしかなかなか芽生えない、というか今の現代日本人は気付けない気がします。
だから私達が本当に善く生きるには、日々の当たり前の生活に感謝しつつ、人生に対して答えていくしかないのかもしれません。
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