見出し画像

引っ越しを控えて【着々と】


いつの間にか一週間を切った。
いよいよ引っ越しだ。

今の家は初任からずっと借りていたマンション。

色々あった。
色々あったのだ。

勤務校決定の連絡が遅くて引っ越し業者が捕まらず最初は家電なし、ダンボール2箱分の荷物だけ。
着の身着のままやってきた。

朝早くから夜遅くまで学校、追加で土日も学校。
光熱費がとにかく安かった。
言葉通り寝るためだけの家。
だから逆にソファやなんやらインテリアを揃えるという思考に至らなかった。ベットと机とハンガーラックだけ。新しいタイプのミニマリスト。

テイクアウトしてきたマクドナルドやスシロー達を並べてYouTubeを見ながら食べる金晩が至福だった。~夏はクーラーガンガンを添えて~

友達ができなかったから誰ひとり来たことのない家となった。隣の人は1回変わった。どちらも多分男性。今の人はまずいないことが多いし、駐車場にはローテーションかのように色んな車が停まっている。

1番のピンチは初任の夏、帰省から帰ってきたらハエがわいていたこと。今でこそ笑い話だが当時は深刻。超深刻。ごはんとかベランダで食べていた。人生の辛かったことベスト10に入る。

そして3分の1の夜はここで涙を流したと思う。この数年を通して。辛くて悲しくて、悔しくて不安で空しくて、そして嬉しくて嬉しくて。
このワンルームでひとり泣く時間が自分に必要だった。

休職して鬱の療養もひたすらこの家。共に過ごしてくれた家。吐いたり切ったり喚いたり普通の人間じゃない日々も送った。
でも日中を家で過ごすようになったからこそ気付いたこともある。カーテンを開けると太陽の光がよく入るのだ、窓が東側にあって大きかったことを知った。幾度と目をチカチカさせながらぼーとした。

🐈🐈

離れるのが悲しいわけでも寂しいわけでも決してない。
むしろ嬉しいのだ、辛い思い出が多く残るこの場所を離れ、好きな場所で生活を始められることが。
それなのに無性にぽかりするのはこの家が私の数少ない味方だったからだと思う。先生として過ごした私が全て詰まっている。

色々あった。
本当に色々あったのだ。

この町は好きになれなかったけど
この部屋は好きだったと思う。

ありがとう、これしか浮かばない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?