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人生が180度反転した時のこと

徒然に書き終わった今、それが話したかったのか。と思ってタイトルを書きました。長い長い徒然です^^

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何かを話したい「わたし」を感じる数日。

ホリスティック医療の中では、かなり以前より
言われてる、態度が健康に及ぼす影響。

それを、まんま体現していた人生の前半。


わたしは、病院では治せない病気と診断されたことで
否応なしに、ホリスティックの世界に触れることになった。

ところが、触れてみたら
あまりにも自分の感覚にフィットするので
ものすごく驚いたことを思い出す。
2011年のこと。

人生が180度反転したときのことを思い出しながら徒然に。


◆悲観的な態度は人を病気にする◆


態度は、その人が気付いている気付いていないに関わらず
「信念:なにを信じているか」を表している。


悲観的とは
先行きに望みはないと考えるさま。 望みのもてないさま。
全てをあきらめているさま。
ネット辞書調べ。

被害者意識とも言えるかな。


悲観的になる理由は、いろいろ。
そこここに。

無力感を感じる経験。
自分には何もできない、という想いをした経験

絶望感を感じる経験。
もう嫌だ。
もうこんな悲しい、辛い思いは嫌だ。
これ以上は無理だ、という経験。


わたしにとっての
無力感、絶望感、被害者意識は
全て、生まれつきのスピリチュアル感覚が原因。

みんなには無いと分かるまでと
分かってから。
とても辛かった。
親から怒られたり嘘つきだと言われたのも
辛かった。

何でこんなモノが、わたしにだけ。。。

もう何度も、思い出していることだけど
改めてこうして書き出すと
なんだか、わたしだけじゃなく
既に子供のころ、全員が感じた感情じゃない?!と思える。
【無力感】【絶望感】


何も出来無い状態で生まれてきて。
第一声は泣いている赤ちゃん。


一瞬親と離されただけでも、地球滅亡のように泣いてる。
世界が「今」だけ。きっと、みんな、すごく辛い。


ちょっと話しが逸れたので、戻して。。。


悲観的な信念は、態度に出る。

・あきらめ
・他者への依存と期待

自分でする気ないし、自分に期待できないので、他者に期待する。

ここまで来ても、なぜか期待を手放すことはできないのか。。


でも、他者は自分の本当の願いを叶えることは出来ない。
そもそも、伝えてもないし、一見「〇〇してくれない」みたいな、上澄み状態で表現されるから、叶えてもらった所でスッキリしない。
何より本人が、本当は何を期待しているのが
分かっていない。
人生は、自分の本当の願いを見つける旅とも言えるくらいだから。

なので、ここでも100%期待は裏切られる。
また怒りや絶望を感じる。

そこで
人がダメなら、やはり私がやろう!!となれば
負のスパイラルの終わりが見えてくる。

「なんだよ!あいつ!」になったり
「ほら。やっぱりこうなるのよ」となると
負のスパイラルを強める経験に。


ここに分岐点^^
ストレスを感じるところは分岐点。


ここで、信念を変えるといいよ!!という所に
ストレスを感じてる。

あなたの本当ではない「信念」を
採用しているところで、ストレス反応。


そのストレス反応も無視して

負のスパイラルを持続していくと
その経験の度に、心と身体には大きな負荷が掛かる。
病気の原因にもなる。


「わたしには、何の力もない」という信念と経験が
人を元気にする事は無いという事は、頭でも理解できる。

そしてまた、お知らせとしてのストレス体験(現実が動いちゃう)も
強くなっていく。


あー辛い!!!
書いてるだけで辛い!!!
思い出す!!!

病気の前の離婚まで、思い出した。。。


また話しを戻して、、

魂、心、身体は結び付いているので
心が冷えれば、身体も冷える。

どうでも良い人生という想いに合わせて、身体の機能は精密さを欠いてゆく。
どうでも良い想いを受けた身体になる。

想いと身体は、嫌でもリンクしてしまう。


わたしは、病院の先生が「治せない・分からない」と言ったときの
巨大なストレスに、
自分の健康を、知らないうちに「誰か」に委ねていた自分に気付いた。

それまでも、難病や奇病になっていたのに
気付かず過ごしていた。

お知らせは常に来ていたなー。。(その度に絶望とかしちゃってたなー)

気付いてビックリ。
なんで、自分の身体を人が治すと思っていたのか?????


信念が通用しない場所に放り出されたお陰で、
「自分でやる」しか、道が無いのがラッキーだった。

もう人に何て言われてもいい!

おかしなスピリチュアル感覚も
(当時の感覚^^;)
自分の持ち物として使うしかない!
全てを総動員するしかない!!

自分でやる!!!

という気持ちが湧いてきた。

とはいえ数日経つと、また不安に襲われて、わたしは「わたし大丈夫かな。死ぬのかな泣」と独り言を言った。

すると、生まれつきのスピリチュアル感覚が
初めて「音」でわたしに話し掛けてきた。
「もう、大丈夫」

ええーー!!!???


でも、なぜか、その一言で、一瞬で腑に落ちて
涙が溢れてきた。。「わたしは、大丈夫だ」と理解した。


そこから、やっと「わたしの人生」が始まったと感じている。
本気のコントみたいな話し。。。


ながなが書いたけど
悲観的より、楽観的な方が人生と身体に良い。と想う。

そんな単純なものでも無いけど、
単純にしちゃえ!とも想う。


悲観的とは
自分で自分の人生を経験するつもりが無いこと。
それは、生まれてきた意味を放棄していること。
与えられた力を放棄していること。


そして、また更に大きな視点でみると
その経験すら、「本当」を知りたくて
自ら経験しているという。。。


最終的に、いつもこうなる。

卵が先か、にわとりが先かの話し。
言葉の限界。


終わりのない深淵なストーリー。

人間から
宇宙から
スピリチュアル感覚から
いろんな視点から
「本当」を探す旅は、まだ続く。


その遠さと深さと大きさに押しつぶされず
今の本当を選び続けて進むだけ。


はあーー長かった!!

まとまらない乱文に最後までお付き合いくださり
ありがとうございました!

◆ホリスティック医療に興味がある方は、こんな本もおススメです^^

「感情地図」キャロル・ライトバーガー著

「自分を愛して」リズ・ブルボー著

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