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アキのエッセイNo.200ー私は人の生きづらさに寄り添いたい
こんばんは!
アキです♪
先日、支援職にならなくて良かったなぁという記事を書きました。
本当に人に奉仕することを望んでいたら
今頃ボランティアでも何でもやっているよね
という考えに至り
そもそも人と関わることがしんどくなることが多いので
奉仕することを選ばなくて正解だったとは思います。
ただ
奉仕という形ではなくても
福祉サービスや就労など
その人の生活を支える仕組みや協力体制を調整することはやってみたかったという気持ちはあります。
だからこそ
精神保健福祉士の資格まで取ったわけですから。
今は清掃会社の管理職として働いて半年が過ぎ
大分仕事にも慣れてきました。
でも、何となく空虚感があって
満たされていない感覚が拭いきれなくて。
そもそも私は何をしたかったか?
ということを深掘りしていくと
支援というよりも
人の生きづらさに寄り添いたかったのだと思います。
自分も今まで
たくさん苦労し、挫折も何度も経験し
だからこそ、感じてきたものがあり
こうしたいと思うことがたくさんあったわけです。
今、世間では転職が当たり前になっていますが
でも、世間で謳われている転職は
「ハイクラス転職」とか
世間的に成功している人向けが多く
そうでなくても
「未経験可」とあっても
障害者とか引きこもりとか
そういう人生を上手く生きられなかった人に対しては
なかなか厳しい対応をしているように感じられます。
日本の福祉は表面的には充実していても
健常者は健常者
障害者は障害者とか
普通とそうでない人を区分けしているような印象があります。
確かに
作業所や、その障害対象のコミュニティにいることで
満足している人もいるのでしょうが。
健常者と障害者が
お互いに交わる機会がないため
お互いに理解することが出来ないでいる。
だから
いざ、障害者を雇おうと企業が思い立っても
どうしたら良いか対応に悩み
形だけは障害者を雇用していても
適切な対応が出来ないでいる会社も多いのではないでしょうか?
健常者と障害者の区分けについてですが
もちろん、必要な区分けはあるでしょう。
労働時間や内容など
合理的配慮が必要なところは
無理のない範囲で行うべきです。
ただ
どこまで区分けが必要かを慎重に推し量るのは必要かもしれません。
もっと、健常者や障害者が
お互いに触れ合い、理解し合える機会があって然るべきと私は思います。
障害者は
その人向けのコミュニティで居場所や作業を提供されていれば良い
という考えは捨てても良いのかもしれません。
などなど
熱く語ってしまいましたが
私が望むことは
生きづらさを抱えた人達が
自分の生きる場所や人生のあり方を
もっと幅広く自由に選択出来ることでしょうか。
仕事をするにも
障害者としての生き方や
普通を押しつけて
それに適応させるような対応ではなく
その規模にもよるのでしょうが
障害者だからこの仕事をして、ではなく
本人に合った仕事のあり方を丁寧に模索していければと思ってしまうのです。
ここまで書いてみて
やはり、自分は
支援がやりたいのだと思いますね。
それは
奉仕という形よりも
「仕組みを整える」と言うのでしょうか。
だからこそ
精神保健福祉士の資格を取り
福祉資源や居場所、協力体制など
本人が生活するのに必要なものを「つなげ、調整する」仕事をしたいと
思ったわけですが
なかなか上手く転職活動が出来ず
清掃会社に転職してしまいました。
その選択は間違いではなかったと思います。
ただ
もう、自分に嘘をつきたくないと思いまして。
自分がここまで「やりたい」と思ったことは
「良い人でいたい」とか
そういう外側を軸とした要求やこだわりではないと思います。
今まで培った経験や想いを
どこかで活かし
点と点を繋げて
上手く実現化していきたいなと思います。
支援者という立場でなくても
会社で障害者雇用の担当となり
事業を展開するというやり方もあります。
今、管理職をしていますが
もし、障害者雇用の担当を目指すのであれば
管理職の経験は活きるかもしれません。
とにかく
生きづらさを抱えている人達に厳しい世間を変えていく
その一助的なことをしたいと思うのですが
欲張りですかね(笑)。
あまり資格とかにこだわらず
自分は何が出来るのか
一つ一つ探っていきたいです。
最後までお読み下さりありがとうございます。