言葉の花束ーアキの詩集No.69
1.「5分間だけの花火」
夜空に上がった
5分間だけの花火
この状況下
だからこそ
頑張る皆さんに向けて
エールを送ってくれている
ドンドン
パラパラパラ
大きな音を響かせ
打ち上がる
大輪
5分という短時間だからか
猛スピードで連発される
その様子を
目を輝かせて見上げ
歓声を上げる
私達家族
ドンドンドン!
なんて
口真似をしてはしゃぐ父
お父さん止めて
隣近所に聞かれるから
止める私
振り返れば
やっぱり
近所の家族も
窓から花火を眺めていた
気恥ずかしそうにする父
笑う私と母と兄
そんな家族の団らん
家族の心を
こうして繋いでくれた花火
ありがとう
2.「猛暑が和らぎ」
猛暑が和らぎ
風が少しずつ
涼しくなってきた
田んぼの稲の穂も
黄色く色づいてきて
徐々に
秋の兆しが
見えはじめている
その一方で
夏はまだ終わっていないぞと
言わんばかりに
声を振り絞って
蝉が鳴く
季節の巡りは
命の巡り
その営みが
美しく
何とも
愛おしい
3.「極める喜び」
苦手なことを
克服するとか
嫌いなものを
好きになるとか
出来たら
格好が良いのかも知れないけれど
そこに費やす努力は
ほどほどで良いと思う
そこに
努力を費やして
どんなメリットがあるか?
一番は
楽しむことが
出来るのか?
それを常に
問いかけた方が良い
私は
リハビリについて学んで
身体系のリハビリに従事していたことが
あるけれど
ダメだった
身体は本当に
私には向かなかった
どんなに勉強しても
体のことについて
詳しくなりきれなかった
介護について知識がある
仕事の同僚が
他の同僚に対して
腰の機能について説明しているのを
聞いて
ピンと来なかった
リハビリの現場から離れている
ブランクがある
色々
理由は作れるけれど
あぁ
やっぱり
体のことは苦手なんだと
改めて気付かされた
ちょっと
ショックだった
けれど
苦手だと気付いて
良かった
私は極めたい人だから
上手く極めきれない分野から
離れることが出来て
良かったと思う
苦手なことは
あっても良い
それにこだわり続け
必死に克服しようと努力し続けるのは
正直しんどいだけ
それよりも
自分がほんとうにやりたくて
極めれば胸ときめくものなら
どんどんやりたい
それが
心や生き方とか
環境調整を分野とする
精神保健福祉士という仕事だった
実際
どんな仕事かは
やらないと分からないけれど
知れば知るほど
胸がときめくこの気持ちを
大切にしていきたい
極める喜びを軸に
生きていきたい
4.「介護のジレンマ」
トイレに行きたい
オムツを替えてほしい
そういった
生理的欲求を
自分で満たせないから
こうして
介護施設で
看てもらっている
その欲求に対して
介護さんは
応えるときはあるけれど
忙しくて余裕がないときは
なかなか応えられない
訴えが多すぎるから
あえて応えないこともある
介護さんに
訴えをスルーされる
または
対応するのを
後回しにされる
仕方ないのかもしれない
大人数の高齢者相手に
すぐに応えるのは
無理がある
分かってはいても
そういう光景を見ると
胸が痛くなる
偽善かもしれないけれど
もし
自分がそれをされたら
たまらない
その欲求は
生きているからこそ生じる
生きる人の叫びであり
人として尊厳を持って
生きるための
権利だ
自分の欲求を訴え
泣く赤ちゃんに対して
親は
すぐに赤ちゃんを優先して
あやしたり
ミルクを与えたり
オムツをかえたりする
それは
普通の親なら
当たり前のこと
もし
延々と後回しにしたり
スルーしたりすれば
虐待やネグレクトと言われても
おかしくない
ならば
高齢者の場合は
どうなのだろう?
高齢者だけでなく
人の介助が必要な
全ての人も
同じではないか?
仕方ないことと
受け流すのではなく
自分がそうすることで
相手にどんな思いを抱かせているか
想像してみること
介護さん達は
本当によくやっていると
思うけれど
それを
忘れないでほしいと
切に思う
5.「強がるな」
強がるな
その一言が
私のきつく締められた
緊張感を
緩めてくれた
強くないといけない
人には
弱みがある
それをある程度
受け入れながら
生きていけば良いなんて
思っていたくせに
弱いままじゃ
生きていけない
なんて
心のどこかで思っていて
強くなろうと
躍起になっていた気がする
もちろん
自分の弱みに
流されてもいけないのだろうけれど
自分の中の弱さに
向き合いすぎても
かえって
自分の負の感情を
煽ってしまう
強くなろうと
生きるのは自由
だけれど
強がらないこと
ほどほどの
努力量で良いと
言ってくれた人がいるから
私は
大分心が
楽になった
6.「妥協を知る」
相手に
誠意を求めても
思った通りに
きちんと返してくれないことは
よくある
自分にとっての当たり前は
相手にとってもそうであるとは
限らない
筋を通そうとして
どんどん追及したとして
どんなメリットがあるのか?
冷静になって
考えてみて
何のメリットもないか
デメリットの方が多い場合は
心を鎮めて
妥協することも
時として必要だ
自分にとっての正義を貫くことで
誰が幸せになるのか?
誰も幸せにならないなら
その正義を横に置いて
上手く折り合いをつけることに
専念した方が良い
なんて
妥協を知って
大人になるのは
あまり
格好が良くないよね
7.「一人時間の楽しみ方」
私1人残して
家族は
新しく出来た
お好み焼き屋さんに
一方
私は
コンビニへレッツゴーし
トマトとアサリパスタに
コーンスープに
ミルクティーに
ちょっとしたデザートも買ってきて
夜虫の声を聴きながら
自宅にて
1人で
晩餐
テレビの音や
家族の声がない
騒がしくない代わりに
虫達の
心地よい歌声が
ちょうど良いBGMになって
私の心を
和ませてくれる
家族は
家族の時間を
楽しんでいるんだろうな
でも
私は
寂しくない
静寂な夜に
虫の声に耳を澄ませながら
1人を楽しみ
ゆっくり食事も
悪くない
1人時間は
寂しいものなんて
誰が決めたの?
普段とは
違った楽しみ方を見つければ
いつもとは
一味違った
素敵な時間を過ごせる
8.「猫の開き」
お風呂上がりの
お布団の上
洗濯物をたたんでいる私の手に
すり寄ってくる猫
撫でると
寝転がって
体を伸ばす
私のすぐ横で
こんなに安心しきったポーズの猫
私のことが
そんなに好きなのかと
可愛くなって
さらに体を撫でる
猫も気持ちよくなったのか
お腹を見せて
ゴロゴロと言う
なんて
甘え猫なんだ
無防備な寝姿が
まさに
魚の開きのよう
名付けて
猫の開き
なんてね
そんな姿を
さらせるぐらい
私に心を開いてくれているのが
本当に愛おしくて
たまらず
何度でも撫でたくなるんだ
9.「お世話になった習字の先生」
昔
お世話になった
習字の先生と
十数年ぶりに
対面して
あれこれ
お話をした
亡くなった祖母のことや
今
自分がしている仕事や
やりたい仕事に向けて
頑張っていること
飼っている猫が
可愛くて仕方がないことなど
色々
お話をした
先生は
昔と変わらずに
習字の先生を続けているらしい
娘さんが
結婚したという話を聞いたけれど
飼い猫がいるし
習字を人に教えているならば
寂しくないかしら
高校2年くらいまで
習字を先生に
教えてもらっていた
その頃の私はまだ
少女だったけれど
今はこうして
一人の大人の女性として
先生と対話することが
出来ている
習字の帰りに
お菓子をもらっていたあの頃が
懐かしい
習字を終えると
決まって
先生の飼い猫と遊ばせてもらっていた
あの頃が懐かしい
あの頃の私は
今ではすっかり
大人になりました
あまり
トントン拍子にいっていない
人生を歩んでいますが
叶えたい夢を実現するため
あれこれ挑戦しては
楽しんで過ごしています
それなりに
良い人生を送っていると
伝えると
まだ若いんだから
大丈夫よと
ささやかなエールをくれた
亡くなった祖母の
香典反しを届けに行って
こうして
思い出話や
近況について色々と話し込んで
それなりに幸せそうで良かったと
安心し合った一時だった
次に会うのは
いつになるか?
もう
会わないかもしれない
話を終えてしまうのが
名残惜しい
こうして会えたこと
先生の笑顔
そしてエールをくれたことを
胸に刻んで
忘れないでおきたい