【2000字小説】 魚のキヨシ

 夏の暑い海。潮の流れに乗って魚のキヨシは国境を越えた。
 人間はさまざまな手続きをしないといけないようだが、僕たちには国境線などない。自由な海、魚の一生。でも常に危険と隣り合わせ。生き抜くのは人間よりも厳しいかもしれない。
 弱肉強食のこの世界。人間は何をしてるのかな。僕には難しいことはわからないけど、大変そうだなと思う。流されてきただけだ、僕は。仲間は特にいないけど、常に助けられて生きてきた。
 魚は死んでも誰かの命になる。食べられたら生き延びる糧になる。短い一生それも本望かもしれない。本望は言い過ぎか。僕らは何のために生きてるのだろう。
 そうこうしている間に陸地に近づいてきた。久しぶりに見る陸は遠くぼんやりとしか見えないけど、僕らには住みにくそうだ。前いたところはでこぼこしてたけど、ここはカクカクしてツルツルしてる。休めそうな場所は少ない。今日の寝床でも探そう。

 夕焼けが空を染めるころ、さかなたちもお家に帰る。旅魚にとっては忙しい時間だ。広い海でも安全な場所は少ない。その地域に住んでる魚たちにも家族や仲間がいる。ナワバリ争いも熾烈だ。僕たちも自由なはずなのに息苦しいのかも。強いものは弱いものを食いものにするし。誰を信じていいのかもわからなくなる。
 何も考えていないはずなのに、いろいろ考えていることに気づく。僕たちにも本能だけでなく理性があるのだ。人間には知性があるって聞いてたけど、僕たちと何も変わらないじゃないかと思う。僕たちが何も知らないと思っているのは人間だけだ。

 その頃、旅する釣り人のサブローが釣り糸を垂らしていた。世界の海を周り、未知の魚を求めるハンターであり、研究者だ。
 「今日はなかなか釣れない。久しぶりに地元に帰ってリフレッシュするつもりできたのに。こんなところに新種の魚がいるわけがない」
 彼は今目の前に広がる海でトレジャーハントしようとしていた。
 そこにやってきたキヨシは、長旅で腹が減っていた。疲れも溜まって注意散漫になっている。もう帰ろうとしていたサブローの竿にキヨシはかかってしまった。
 「なんてことだ、釣られると何をされるかわからない。ごく稀に逃してくれる人間もいるらしい。それに賭けるしかない」
 キヨシに深く食い込んだ針は、ちょっとやそっと抵抗しても抜けやしなかった。徐々に引っ張られる。
 「やっとかかったわ。どうせつまらん魚だろう」
 そう考えていたサブローはダルそうにリールを巻き釣り上げた。
 「やっぱ雑魚じゃん。しょうもな。リリースしよ」
 釣るやいなや、手早く針を外し、海に投げ捨てるように放り投げた。
 キヨシは絶体絶命の状態から辛くも生き延びた。口には激しい痛みが残っている。でも命があることに感謝した。

 キヨシをリリースした後、家路についたサブローは車の中でスマホを取り出し、SNSを確認する。そこには新種発見の情報が流れている。それは狙っていた魚だった。先を越された彼は憤った。
 「俺は何してんだよ!時間の無駄遣いしちまった。これまでに費用もたくさんかかったし、各所に頭下げて苦労して手続きしたのに」
 それから実家に帰ったが、不機嫌に夕飯を平らげた。
 「今日は釣れんかったん?」
 母親に聞かれたサブローはさらに怒りが沸いてきた。
 「釣れたけど山ほどいる魚や。俺が何ヶ月も探してた新種は他のやつに取られた。放ってきたわ」
 母親からすると、夕飯の食材にしようとあてにしていただけで、魚の種類はどうでもよかった。
 一方生き延びたキヨシは、痛みと空腹と疲れでフラフラだった。それを狙って暗くなった海に、天敵たちがうごめいていた。

 一夜明け、サブローに外国で釣りをするために申請していた手続きが完了したと連絡があった。予定を早め、また世界各国を転戦する生活に戻ることにした。
 「もう出発するの?ゆっくりしていけばいいのに」
 母親に言われたサブローは面倒臭そうに答える。
 「また先越されたくないから。俺はそれでメシ食ってるの」
 支度を整えると、用意された昼食も取らずに出て行った。
 その頃キヨシは目を覚ました。なんとか隠れる場所を見つけ、なかなか寝付けなかったが、傷ついた体を休めることはできた。
 「これじゃしばらくは旅はできないな。ここでしばらく暮らそう」
 こうしてキヨシはサブローの地元に居着くことになった。

 半年後、サブローは地球の裏側で新種を発見した。新聞にも取り上げられた。そこには満面の笑みで写る姿があった。
 その頃、キヨシはパートナーを見つけ共に暮らしていた。死を覚悟した彼にとってそれはとても幸せな生活だった。
 「君と出逢えてよかった。かけがえのない存在だよ。広い広い海で巡り合えたことは、本当に奇跡だ」


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