登張竹風センセ
独逸文学の先生。直に習うことができないほど以前の世代の先生。息子の人である登張正実センセも独文の先生。こちらの先生にはお世話になったこと、あり。
父センセは、本名は登張信一郎センセであるけれど、雅号をつけて「登張竹風」と呼ぶのがよいみたい。その人生をネット上で検索してみれば、世の常道を歩んだとはいいがたい。このことが ニーチェを研究していたことと繋がるとすれば、おもしろい/interessant。である。インテレサントである。
吾輩は、登張(父)センセの作った辞書をもっている(もっているけれど倉庫に入っている)けれど、その表紙には確か Bambuwind Tobariと表記されていた記憶あり(Bambuswindだったか…)。これはほぼそのまま英語と重なるのでbamboo windに置き換えてよいでしょう。
なぜ 竹風 だったのか…。想像すると、竹はおよそヨーロッパ的なものではない。北緯が同じでも、ヨーロッパで生育することはないようだ。ドイツの対極の本邦に吹く風、ということかもしれない。東南アジアこそが本場かもしれないが、北限は日本であるとのこと。
鎌倉の報国寺の庭は 地元では 竹の庭 と呼ばれる。実に見事な竹林で、仰ぎ見る景色はまた格別である。ドイツ人などはこれを見るならば感激することであろう。ここを吹き抜ける風もまた心地よい。登張(父)センセのなを思うとき、常に報告時が連想される。
その竹風センセはニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき/ツァラトゥストラはこう言った/Also sprach Zarathustra」の全訳を、山本書店から『如是説法ツァラトゥストラー』として出している。ネコイッチュもかつてこれの古書を手に入れて読んだ記憶あり。ツァラトゥストラの最初の訳は、桑木厳翼センセ(有名な人)のようだけれど、それは全訳だったのかどうか。竹風センセも全訳でないものを、先に世に問うていたようである。山本書店の全訳は1935年のようで、既にして きな臭い時代のことである。
ドイツ本国では、ボイムラー(Alfred Baeumler)などが、ナチズムを肯定する思想をニーチェとつなげて展開する動向が見られるのだが、日本では如何に? 登張センセの研究が危険視された(且つ職を失うことになった)とはどのような文脈のことなのか、… 。ドイツ国との協調、という点では、問題となることも多くはなかったであろう。とすると…
この時代における「危険思想」とはどのような雰囲気において語られていたのか、いまだ研究していないので確たることはわからず…。しかし、
森鴎外の(奇文ともいえる)「沈黙の塔」(1910)という文があり、ここには危険思想というものが「パアシイ族」(ペルシア)の名の下で記されている(列挙されている)。これを繙くと、その当時の雰囲気の一端が読み取られるようにも見える…か。「青空文庫」にも収録されていて、無料で読むことができるのはありがたし。
これは講義で扱った、国家による「神社合祀」が始まる頃の世の在り方か…。
いいなと思ったら応援しよう!
