見た:森林伐採〜オリンピックのために〜
RHYMESTERの宇多丸さんがしつこくしつこく勧めている「アジアンドキュメンタリーズ」という配信サイトで、『森林伐採 ーオリンピックのためにー』というドキュメンタリーを見た。
⚫︎ざっくりあらすじ
インドネシアのとある村にある森林は4000年ぐらいもの長い間先祖代々受け継がれ守られてきた。しかしその森林が何者かによって伐採されている。一体この木々たちはどこへ行き何に使われるというのか、その足取りを文字通り木を追いかけ探ってゆくとそこにあったのは……
映画の副題にもある通り、この木々たちは山を越え海を越え国境を越え「TOKYO2020」で建てられた新国立競技場で発見される。
まあ、結末は何となく見えていても、木々が運ばれてゆく先に「安全運転」「住友林業」などと見慣れた日本語が立ち現れてくるとゾッとする。しかも建物の骨組みに使われるわけではなく、その材料を作る?ための型として?使われるらしいのだ(あまり詳しいことは分からないが、とにかく建設そのものでなくて、"使い捨て"の何かに使われるらしい)。もちろん「TOKYO2020」は「持続可能性」をうたった大会であり、それを請け負う企業もまたその大会理念を共有している、という建前があるはず、なのだが。
問題はインドネシアの政治にもあるようだ。政治家の殆どは企業家で、森林伐採は金になるため全て合法。合法で採取された木々を住友林業が仕入れるのももちろん合法。
では責任はどこにあるのか?映画で語られる以下の専門家の指摘を抜粋する。
そうなんだよな。
個人個人が商品を一つ一つ吟味して選び取るのは大変な労力が必要で、児童労働、不当賃金労働などを得て作られたものを買うことで、その行為を肯定するようなことに加担したくない気持ちがある、あるものの消費者が個人の力で調べ上げクリーンなものを選び取るということは正直不可能と言っていい。
でかい企業であればあるほど、その影響力は大きくなるのだから、下請けの下請けまで徹底して「環境破壊や人権侵害に関与していないか」を調べあげる責任は当然ある。それがままならないなら法律が必要、その通りとしかいいようがない。
木々を行く末を追う地元の保護活動家のひとりが、木々にとある「呪い」をかけるシーンなんかも見応えがありヒリヒリする。丁寧にかけられた「呪い」を背負った木材が、あの競技場にはあるのだぞ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?