見出し画像

練馬区立美術館 三島喜美代ー未来への記憶ー

閉幕間近とあって、平日の昼間でも若干の混雑。
でもとってもよかった。
最近の関心ごと。環境・ゴミ問題。
三島喜美代さんはゴミで作品を作ったり、ゴミでゴミ箱(と中のゴミ)を作っていて
とてもチャーミングな方でした(映像資料)
残念ながら、会期中にお亡くなりになったようで、でも
「命懸けで遊ぶ」というマインドは尊敬するばかりです。

実はこの展示を、行き渋りの小学生2名(とそのお母様)の4人で行ってきました。
子どもたちは美術館で何を思ったかわからないのですが、
「アトリエでもやって見たいねぇ」という短い会話と
入り口に置いてあった本当の空き缶ゴミを見て
「あれも作品じゃない?」とふざけたりで、とても楽しかった。
美術館の中は緊張するのか、「疲れた」となってしまっていたけど、
外に出るとはしる走る。
「今日、よかった〜」というので、
そこは深くは聞きませんでした。
多分、「学校行かなくて済んだ」とか「休めてよかった」っていうことなのかな?と。
そんな後ろ暗い気持ちにならなくていいんだよって思いました。

美術館に行って「美術の教養をつけたからいいよね!」って意味づけする必要もない。
ただ、リフレッシュした、でいいし、
今日という日を「よかった〜」というなら、それでいいな、って思いました。

ところで、三島さんは映像の中で、
「ただ好きだから続けていた」「集めていた」「作っていた」
そういう無我夢中体験が、あの作品群な訳で、本人は「芸術家になるつもりもなかった」とおっしゃっていた。

こどもたちの遊びにもそういう精神があるはずなのに、
最近、どこか他人任せな子が多い…

積み木遊びでも「あ!これこうしてみよう!してみたい」と思ってすぐ動く子と
言って終わりの子がいる…(やってくれるのを待っている)
実はこういう待ちの子を注意深く観察するようにしていて、
どうしたら、手が動くか、ジーーーーっと見ているのだけど(ちょっと時間を要することもあります)きっかけさえあれば、という子と、積み木そのものに興味がない子に分かれている。後者の場合は、ちょっと悲劇的だな、と思います。
興味のない習い事ほど辛いものはないから…

「夢中になる」には興味があることが一番の原動力なのは確かです。
せっかく持ってもらった興味を広げて行けたら、と気持ちを新たにしました!

お読みいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?