【南仏プロヴァンス】地中海沿いのシャペル
7月14日、フランスは革命記念日で祝日です。
3年前、まだ南仏はプロヴァンスに住んでいた時に偶然訪れた、隠れ家のようなシャペルについて書こうと思います。
当時はコロナ禍真っ只中で、修士課程2年目に在籍していた私のインターンも延期を余儀なくされ、それでもようやく実施が決まりパリ行きの手はずを整えた。
南仏から一人旅立つ直前、休日のドライブの記憶を写真とともに。
真っ青な地中海の海岸線に沿って、La Ciotat(ラ・シオタ)、ワインで有名なBandol(ボンドル)、Sanary-sur-Mer(サナリ―=シュル=メール)を過ぎる。潮風が懐かしくて気持ち良い。
道なりに進んでいると偶然シャペル(Chapelle、礼拝堂)の看板を見つけたので、向かうことにした。
本当にここかな? と思うほど野原の奥まで来た時、やっと新たな案内が。
Notre-Dame de Pépiole(ノートルダム・ドゥ・ペピオル)。6世紀のシャペルとある。
隠れ家のように秘められた、石造りの小さな建物。
中に入るとすぐに礼拝室になっていた。ボランティアの女性が一人いて、説明をしてくださった。
マルセイユの修道士によって造られたとされるのが6世紀。その後ひっそりと隠遁生活が営まれていたようだが、詳しいことは分かっていない。
18世紀終わり。秘境のようなシャペルも革命の災禍を被る。聖母マリアとイエスの彫像が、革命家の手により焼かれてしまう。
奥に立つ像がそれだ。脚の方が赤くなり、焼け跡が見える。火の粉にまみれた像だが、奇跡的にそのままの形で残った。
革命家が去った後、近隣の農民が彫像を見つけ、以後大切に「匿った」とのこと。
1956年にベルギー人の神父さんがこのシャペルを発見し、すぐに再建、その折に像もシャペルに返された。
聖職者不在のこの170年ほどの間、代々この聖母とイエスを守った農民の一家族。信心深い方々だったのだ。
6世紀に建てられてからほとんど人に知られることなく佇み、革命の炎からも幸い逃れ、今日まで静かに息づくシャペル。現在も日曜、平日にもミサが行われている。地中海の賑わいをよそに、世紀を超えて変わらぬ信仰生活が営まれているように感じる。
小さなシャペルの頂、鐘が印象的だ。
裏側から見ると。
庭も綺麗に手入れされていて、ベルギー人神父さんのお墓もこちらにあった。
再び中に入り、夫(当時は結婚前だった)と二人、蝋燭を灯した。
彼は私のパリ生活がうまくいくようにと祈ってくれたよう。
パリでは一人暮らし、初めて会う人々と仕事をすることになる。コロナ禍でもあり不安はある。
でも、革命を生き抜き、焼け跡を遺しながらも今日まで人々を庇護するこの聖母マリアとイエスが、私をも守ってくれると、強く信じた。