問い直す時期。
半年ほど前、「みんなの学校」というドキュメンタリー映画を観ました。
大阪市住吉区の公立小学校である大空小学校に通う子どもたちや教職員の日常を映画にしたもので、我が子が小学校でもらってきたチラシを見てぜひ見てみたいと一人で観に行ってきました。
子ども達も誘いましたが「家でゲームしていたい」とのことで、思わぬひとり時間を過ごせました。
上映会が午前中、午後は大空小学校の当時の校長である木村泰子さんの講演会。
上映会でほろりと泣くシーンがあり、やっぱりそれは我が子と重なる部分もあったりしたので、講演会も楽しみでした。
木村泰子さんはとても気さくな雰囲気で、演台を使わず客席に降りて同じ目線で話していただき、まるで自分たちが映画の中の子ども達のように授業を受けているようでした。
とはいえ、映画の中の子ども達が大人しく授業を受けているシーンは数えるくらいしかなかったのですが。。。
映画の内容としては何らかの理由で「普通の」小学校へ通えなくなってしまった子と先生たちとのやり取りが多く、また、その先生を育てるベテラン教師へのインタビューなどもあり、気付かされることも多くありました。
講演会の終盤に知った、とある市長の「不登校の責任は家庭にある」という発言。
私はとても違和感を感じ、当時よく聴いていた音声配信SNSでこのことについてコメントしました。
「不登校の原因は家庭ではなく学校にあると思います」と。
私は、子ども達はとても敏感な感覚の生き物で、大人のそれとは比べ物にならないと思っています。
私達大人は元々持っていたその感覚を色々な経験を通して鈍らせていったのではないか、と。
その子ども達の「なんか嫌」は言葉にはできないけれどとにかく感じる違和感や理不尽さ、自分を対等に見られていない感覚など、そういったものじゃないかな、と思っています。
不登校の原因にもなっているのではないでしょうか。
その一つがコロナ流行で浮き彫りになった学校での子ども達へのマスク強要です。
給食時ならまだしも、体育の授業中にまでマスクする必要はあったのでしょうか。
成長著しい子どもの脳は大人のそれ以上にたくさんの酸素が必要です。
それをマスクというペラペラの紙や布切れで取り込めなくしました。
そういった先般からの疑問も相まってSNSでのコメントになったのですが、そのチャンネル主の方は「学校に原因はないですね」と言いました。
実はその方は元学校関係者だったのです。
確かに、学校は教育委員会、そしてその上である市や県、トップは文部科学省からの通達によって動く機関です。
一教師が「こうしたい。これはおかしい」と改革しようとしても校長の言うことが絶対、教育委員会の通達が絶対というようなシステムなのはわかります。
ただ、私が言いたかったのは木村泰子さんがおっしゃった「今、学校のあり方を問い直すとき」ということです。
お上からの言いなりで動く学校、先生を続けるのではなく、おかしなことをおかしいと発信、話し合い、子ども達のために動いてほしいと、どの保護者も思っていると思います。
「学校のルールだからマスクをしなきゃいけない」の一点張りで押し付けられた数年間、立場の弱い子ども達がどんな思いで過ごしてきたか、自由や子ども達の人権はそこになかったのです。
当時、そう言っていた関係者の方たちに問いたい。
マスクで感染を防げたのでしょうか。
マスクの網目とウィルス(これも未だに存在を確認できていない)の大きさの比較を、これだけネットツールがある中で一度も見たことはないのでしょうか。
見て見ぬふりをした大人、教師がたくさんいたのではないでしょうか。
社会の問題に向き合い、不安になることもありますが、問題には声を上げなければいけない、そう思います。
当時「問題にばかり目を向けていると全てのものが問題に見えてきます」と、そのSNSチャンネルの方は発信していましたが、問題であることから目を背け続けた結果が今の社会です。
そしてその社会でこれからも生きていくのは子ども達です。
自分のことなのに目を背け続けた大人が作り上げてしまった歪んだ日本の社会、その責任は私達にあります。
もしかするとこの記事を学校関係者の方も読まれていると思いますが、不快な思いをされたかもしれません。
ですが、事実です。
学校のあり方を見つめ直し、問い直す時期ではないでしょうか。