ウマ娘ダウンロードすらしてません
韓国で先日ウマ娘がリリースされ、好調とのことだ。リリース前から大々的に広告展開されていたので期待値はそれなりに高いのだろうとは想像していたが、3週間で100万ダウンロードを突破する大ヒットらしい。急にマヤノトップガンとか名前出てきても、いやお前誰やねんとかならないのかな…
僕が競馬を始めたのは1997年、メジロドーベルが2冠制覇し、エアグルーヴが天皇賞(秋)を勝利した年だ。そしてその年の暮れの朝日杯を制したグラスワンダーが僕の生涯の推し競走馬である。グラスワンダー・スペシャルウィーク・エルコンドルパサーら当時最強世代と呼ばれた1995年組をいまだに最強と信じて疑わない老害ファンはたくさんいるだろう。僕もその1人だ。
今振り返ってもその最強世代が活躍した98〜00年がどう考えても一番楽しかったなと思うんですが、僕はその頃から10年くらい毎週末欠かさず馬券を買っていた。ただ、当時はそんなに賭けられるお金もなかったので、『使う金額は1日5000円まで』とか自分ルールを決めて遊んでいました。そうするとたとえ1ヶ月全部負けたとしても4〜5万程度の出費で済むため、パチンコの負け1回分くらいのダメージにしかないからオススメだ(パチンコで痛い目にあった人の顔)
趣味として結構熱心だったので、友人のホームページに毎週重賞予想を寄稿したり、北海道の牧場巡りをしたり、競馬場巡りしたり、「俺はむしろ胴元として搾取する側にまわることで常に勝利者となる!」と思い立ち日本中央競馬会の新卒採用試験を受けて落とされるなどしました。今では全て良い思い出だ。
しかし、どんな趣味でもあまり熱心に打ち込みすぎるといつかは飽きがくるもの。「なんかつまらなくなったな」と思いつつ、惰性で馬券を買うようになっていく中で迎えた2007年。ダイワスカーレットとウオッカがクラシックを席巻した年だ。この年は年始から異様に予想が当たる年だった。僕は賭ける額が少額なので大して儲かることはないのだが、同時に大して負けることもなく、それまでの通算戦績はほぼトントンだったと思う。
ただこの時ばかりはとにかく毎週のようにプラスになるので、年間での収支はチリも積もって200万を超えていたはずだ。そしてその年のラスト・有馬記念でマツリダゴッホ−ダイワスカーレットの馬連万馬券を的中させて有終の美を飾った僕は、あれだけ大好きだった競馬をその日を最後にきっぱり辞めることにした。そのまま生涯プラスで逃げ切ることに決めたのである。(せこい)
そこからの7年くらい僕は一切競馬を見ることすらなくなった。ギャンブルてこんなにキッパリやめられるものなんだねと周囲にもよく驚かれたものだ。まあ単純に飽きてたんだと思う。今ではたまに大きいレースくらいは買ってるけどね。
さて、そして翌年2008年。あぶく銭のまとまったお金を手にした僕は、せっなくなのでそれを資金に何か新しい趣味を始めてみようと模索し始めた。ヨーロッパあたりに海外旅行に行くのもありかなとか思ったりもした。
しかし、結局僕はそれまで全く興味のなかったとある悪どい商売に突如としてハマッてしまい、一瞬でその資金を溶かすことになる。そしてその選択は僕のその後の人生も狂わせてしまうことになるのであった。もうお気付きの方もいるだろう。下手に元手を持っていたばかりに、この時僕が深くのめり込んでしまったのが『アイドル』である…。(つづく…)