アートは一体誰のもの?プラハの街角で蹲る。
歴史と音楽とアートの街、プラハ。
どうも、永田です。ヨーロッパ旅行3ヵ国目はチェコのプラハに来ています。僕はのだめカンタービレの映画ロケ地になったくらいの印象しかありませんでしたが(しかも映画は観てない)、古くて綺麗な街並み、音楽、ビールあたりが有名らしいです。
旧市街地やプラハ城といった有名な観光エリアはどれも壮観でした。半日も歩くとどれも同じ様な建物に見えてくるのですが、それぞれ色んな時代に色んな人達によって建てられたり改築されたりしているそうです。(僕の素人目では分からない) しかし、一番古いものだと8世紀に建てられた教会なんかもあり、そこにいると大きな時の流れを感じました。
曇天の中で燃える
そんな美しい街並みを楽しんでいたのですが、あいにく僕がプラハに滞在した四日間のうち三日間は曇り。曇りだとなんとなく気持ちも上がらず、正直毎時間毎分お散歩楽しい!街並み綺麗!!最高!!!いう気持ちにはなれませんでした。(冬のヨーロッパは日本に比べて曇りが多いみたいです)
しかし、その陰湿な天気たちをひっくり返す様に、街中には力強いアートが溢れていたんです。
例えば、そこらへんにある何気ない工具店や雑貨屋さんのウィンドウレイアウトや装飾がいちいち凝っていて、かつ遊び心もある。お土産屋さんのクオリティもめちゃ高い。勿論、いわゆる観光地にありがちな「ここもか」系のお土産屋さんもそれなりにありますが、中にはローカルアーティストの作品を置いてあるショップだったり、伝統工芸のマリオネット専門店があったり、決して見飽きることはありませんでした。
(このハリネズミ、窓からはみ出してます)
また、歩いて2〜3分に一軒くらいの勢いで、アートギャラリーが存在していたり。(Google マップで超ざっと数えただけでも中心街付近に50以上ありました。そして僕が入ったのは全て無料でした。なんでも、アートギャラリーを運営すると市から補助金が出るんだとか。なるほどなるほどです。)
言わずもがな、世界遺産になっているお城や教会など古い建物に残された絵画や彫刻、そして建物自身も素晴らしいアートのうちの一つだと僕は思いました。その規模感と美しさには勇気をもらえます。
あとは至る所にある落書き。これまで旅をしたスイス、オーストリアでも目にすることが多かったのですが、ここプラハでもその存在感は確かなものでした。隙間さえあればどこにでも書いちゃう感じ。お気に入りはこの僅かなヌケ感漂うジェントルマン。笑
意思表示としてのアート
そんな感じで至る所にアートがあるプラハですが、僕が最も心撃ち抜かれたのが、このLennon Wall。誰が書いたのかは知りませんが、ジョンレノンの顔が書いてあるからLennon Wallなのかな?中央にあるジョンレ・レノンの顔の横には、世界の色んな言葉で『All you need is love.』と書いてありました。
調べてみると、この壁は、1980年12月8日、凶弾に倒れたジョン・レノンを偲んで、若者たちが哀悼のメッセージを記していって出来たものであり、かつ当時の共産主義体制に対する反乱の象徴であり、自由へのシンボルでもあったそうです。
https://tabi-labo.com/284957/john-lennon-wall
そしてそして、更に僕を驚かせたのは、その隣にあった『Stay with Honkon』や『Freedom to Honkon』の文字。初めは絵として綺麗だなぁと見ていただけだったのですが、よく見ると、壁のあらゆる所にアートとメッセージが混在しています。この落書きが出来た背景を知った後に眺めてみると、そこには沢山の人々の想いが込められていることがありありと伝わってきます。
アートの持つ力と可能性
僕はその壁にある「落書き」がただのイラストではなく、表現としてのアートだということに気づいた時、ぐぐっと、胸が熱くなりました。それと同時に、アートの自由さと可能性をその中に見ました。
おそらく、『Stay with Honkon』という言葉を書いたのは、ジョンレノンでも大物アーティストでもなく、プラハに住んでいる人達やはたまた旅行客でしょう。そうした出会うかも分からない人達の想いをたまたま受け取れた、受け取ってしまった、ということを思うと、その不思議さと力強さに益々ジーンときます。
プラハの明るくも暗い過去
もう一つ「実は」な話をすると、プラハの伝統工芸・芸能であるマリオネット劇は、現在は地元民や観光客に親しまれているアートですが、その明るい事実の裏には暗い過去がありました。チェコがまだドイツやオーストリアの支配下にあった時代、チェコ語を話すことを禁止されていました。しかしマリオネット劇だけはチェコ語で行うことを許され、公の場でその芸能に自ら親しみ、自分たちの言語を子供達につなげていく役割もあったそう。
https://www.mid-europe-ex.com/blog/item/10999.html
そう考えると、チェコの人達はアートを自らの表現や意思表示として使ってきた過去があるのかもしれないと思います。そして僕自身、アートは、何か高尚で特別で一部の人だけのものではなく、誰にでも開かれていて、利用できるものなんだと気付きました。
日本でアートは誰のためのもの?
しかし、日本でその事実に気づくことは中々難しいような気もします。装飾の派手な店構えも道路の落書きも少ない。調べたところ、プラハの様に広くアートギャラリーに対する補助金を出している自治体は見つけられませんでした。文化庁や財団によるアート支援に関する奨学金や補助金はありますが、それは一部の優秀な人達に向けられたものの様に見えます。つまり、日本ではアートが大衆化していない。
確かに僕自身も、他の人がつくったアートを観るのは好きですが、アウトプットとなると話は別です。「僕には絵のスキルもデザインもスキルも無いし、自分には無縁のもの」と心のどこかで思ってしまっているように感じます。
豊かに生きるための手段
それでも、僕はここプラハで、自由に羽ばたいていくようなアートを目にし、その主導権を自ら手放すことはしたくないと思いました。音楽、絵画、芸能、ものづくりを初めとしたアートは、単純なモノとしての価値だけでなく、自分の声を乗せる武器になり、かつ隣のあなたやどこかの誰かの背中を押す道具にもなり得るのでしょう。それは自らをもエンパワメントし、力強く生きるための手段でもある。
すぐに「アーティスト」になることは厳しいかもしれませんが、まずは僕の日常に小さなアートを取り入れていくことから始めていきたいと思いました🌷