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#07 飛行機代0円でいく南の島。③

↑の続きです。

「いつから目的地がないと動けない人間になってしまったのか。」と、いささか自分を恥じながら原付を走らせるねぐせ。

すると、ネットで何度も見かけた鶏飯の有名店を横切り、地元臭漂うお食事処を発見。

↑地元感じるお食事処

「せっかくだし行ってみるか。」

普段はまず入ることのない佇まい。
お店の内側には、地元民と観光客の交わる空間が広がっていた。

ねぐせ into 地元飯処

ねぐせの入店時。
地元のおばさま方と談笑されているマスターの姿があった。

ねぐせは早々に注文を済ませ、マスターが調理へ向かった隙に地元民の談笑へ混じってみる。

<こんにちは。初めて奄美来たんですけど、おすすめの場所とかあったりしますか?>
「奄美はこの辺がいいよ。他はほとんど行ったことない。笑」と、
昔話や思い出話を交えながら、周辺事情を教えてくださる。

なるほど。たしかに、観光客向けの密林ツアーやガジュマルカヌー体験が盛んなのは島のもう少し離れた場所だ。
きっと奄美大島という地は、手付かずの自然とは裏腹に、
自然を媒体としたビジネスの誕生と成長など、生活様式は大いに変化したのだろう。しらんけど。

それに対して、おばさま方には、
今も昔も変わらない地元の生活があるのではないか。
と、ねぐせの頭の中に妄想が展開する。

奄美にはなにもない

平日は何人かの地元民が訪れ、土日は少しの環境客が訪れる小さな食堂。
他のお店も昼に始まり、夕方には閉まる。

「奄美はなにもない」と言われる所以もよくわかる。

空港を出発してから未だにコンビニというものを見かけていない。
もちろん注文から数十秒で丼が着丼することもない。

なにもない。
ただただ日常が流れている。
都会定規で奄美を測るなら、「なにもない。」とも言えるだろう。

「なにも(変わら)ない」

都会の風景を構成するテナント群は、日々目まぐるしく入れ替わる。
数年前にその場に何があったのかさえ忘れてしまう。

一方で奄美はどうか。
「昔はあの山にも走って登れた。」
「小さい頃はそこでよく遊んだ。今もたまに行く。」と、
おばさま方は今も昔も変わらない風景を教えてくれた。

都会定規で「なにもない」と評される奄美は、
「なにも(変わら)ない」とも言えるんじゃないか。

奄美地元飯鶏飯着丼。

そんなこんなしていると奄美の地元飯、鶏飯が着丼する。

↑トッピングとご飯は別々の状態で着丼する

マスターは初鶏飯のねぐせに、鶏飯の食べ方を教えてくださった。
初めに白ご飯の上にトッピングを配置、そこに鶏汁をかけて召し上がるのだそう。

「お!いいね〜。」
マスターにねぐせトッピングの鶏飯をお褒めいただく。

「はい、しまみかんの皮。入れると美味しいよ〜。」
このしまみかんの皮がいいアクセントとなり、丼はねぐせの前から一瞬にして姿を消した。
ごちそうさまでした。

奄美定規をかんがえる

せっかくなので、マスターにも周辺の散策地を尋ねてみる。

「海と山。左手に海、右手に山。それを道のままにゆくのがおすすめ。」

『目的地がなくても楽しめる』そんなことを説かれた気持ちだ。
また恥ずかしくなったねぐせである。

「わからないときがあったら、また聞きに来ていいからね。」
都会定規で事を測るねぐせに、奄美の日差しのような暖かさが染み渡る。

奄美という場所は、目的にのみ囚われた都会人にとってはつまらない場所かもしれない。
しかし、奄美定規を持つ奄美人にとっては違う見え方なのだろう。
奄美のなんでもない日常にこそ、奄美定規で感じるしあわせがあるのだろう。

都会人ねぐせの中にも、奄美定規を取り入れたいものだ。

そのためにこの旅では、奄美の人の非日常ではなく。
日常に触れる体験がしたい。
(この発想自体が目的志向アプローチの都会定規感も拭えないが…。)

ここに来て定まった。
今回の旅の目的は島の人の日常を楽しむこと。

店を出たねぐせは当てもなく、ふらふらと原付でさまようことにした。

④へつづく…。

ねぐせです。投稿のインターバルが長くなってしまいました。
投稿予定日の約束破りました。ごめんなさい。

今回の約束が守れなかったのは、日々更新したい出来事がたくさんあり頭がパンクしたこと。が主な原因と考えていますん。
だから、さっと更新できるTwitterも始めたのでよかったらそちらもよろしくどうぞですん。



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