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灯台と魚[断片]

 ……むかしむかし、おおむかしのお話です。ある大洋に、真っ白で大きな灯台が、ぽつんと、座っていました。背筋はまっすぐ伸びて、姿勢はいいのですが、灯台はとても静かで、寂しそうでした。彼の足元では、魚たちが、くすくす、くすくす、と灯台について噂話をしています。魚たちは小さいので、笑い声も小さいのです。
「この灯台には、どうして灯りがつかないのだろう。黒い窓はずっと黒いままで、こないだも、しるべを失った船が、夜じゅう、ここをさまよっていたよ。それで、そのあとはドボン! さ。いったい何せき目だろう?」
「悪魔が棲みついて、光をとってしまったんだ!」
 一匹が、驚かすように、声を張り上げて言います。きゃあきゃあと魚たちが騒ぐと、水面が銀色に煌めいていました。魚たちのうち、こないだの沈没船から海底に転げ落ちた、新入りの、リンゴと同じ色をした魚が、尾を振って言います。
「わぁ、そんな怖い話はやめようよ。きっと、月の羊が落っこちて、灯りを眠らせてしまったんだ。ぼく、見たんだよ、月から、なんだかキラキラしたものが、零れてきたんだ。本当さ」
「たしかに、こないだは、流れ星がすごかったから、うっかり月から星にさらわれて、ながれてしまったのかもしれないね。だけど月の羊ってやつは眠ってばかりいるもんだから、さらわれたことにだって気づいてないよ。きっとまだ、あの灯台の中で寝てるんだ」
 魚たちはきっとそれが正しいと、あきれたように肩を揺らしました。秘色の浅瀬が若緑に色を変え、夕刻を知った魚たちは、「今日は何も沈まないといいね」と言い残して、それぞれ帰っていきました。
 残された赤い魚は、海と空とに挟まれた、窮屈そうな白い灯台を振り返って、口を開きました。
「それじゃあ、月の羊は眠ったままか。だれかが起こしてやらないと、船乗りたちがかわいそうだ。ねぇ、灯台。お前はいっつも静かだけど、たまには、何か言ったらどうだい」
 灯台が動けないことを魚たちは知っていましたが、彼に声がないことを知るものはいませんでした。赤い魚が尾をゆらして帰ろうとすると、ちゃぽんと、何かが水に落ちる音がします。見ると、白いカギが、白砂の上に落ちていました。輪郭もあいまいで、一晩波に揺られていたら、きっと二度と見つかりません。
「灯台。これはおまえのおっちょこちょいかい。それとも、誰かに代わりに入ってもらって、月の羊を起こしてほしいということかな。おまえも考えたね。でも困った! ぼくじゃ中に入れないよ」
 実は、そのどれも違いました。魚たちの噂話は、半分ずつ、あっていたのです。悪魔が月の羊をいたずらにさらって、この灯台に閉じ込め、人が決して入れないように、カギを捨ててしまったのでした。ですが、それを赤い魚が知るわけもありません。それに、声のない灯台は、それを教えることもできません。なので灯台は、薄紫の夕焼けの光を借りて、いつもよりいっそう顔を白くして、魚の言葉に、そうだ、と返すように立ち竦んでいました。魚はううんとうなって、カギを波からまもるように、尾をくるりとまわしながらおよぎます。
「ぼくには、これぐらいしかできないよ。カギは銀で、ぼくが持つには重たすぎるから。くらげがいてくれたらなぁ。あいつの頭は、テーブルにぴったりなのに。船がしずんで、足がよくひっかかるからって、来なくなっちゃったんだ」
 日がすっかりと暮れて、空と海のさかいがわからないほどに、あたりは黒く染まってしまいました。月の光が、わずかにカギの輪郭を照らして、魚はカギのまわりを、くるり、くるりと踊ります。ずっとそうしているものだから、魚はこころ細くて、さみしさを紛らわせるように、言葉をこぼしていました。
「あるいは、ウミガメさんがいてくれたらなぁ。彼は、月と仲がいいから。でも、めったにここには来ないんだ。もうおじいちゃんだし、月の光がいちばん降る所にしか、いないから。仲がよすぎるっていうのも、かんがえものだな。でも、明日になったら、ウミガメさんに会いに行って、月の羊のことを言わなきゃいけない。ぼくたちの声は小さすぎて、月には届かないんだから。でもその間、このカギはどうしよう?」
 くるくる、くるくる。魚が一生懸命にそうしているあいだに、カギの周りには小さな渦が生まれました。黄色い月の光は、渦を伝って、乾いた砂のように滑らかに、カギの中へ注がれていきます。やがてカギがすっかり月の光に満たされて、淡く光るころ、ようやく日が明けたので、魚はカギを見守ることを止めました。
「おや、カギはこんな具合に、かがやいていたかな。いや、それなら、波にさらわれて、見つからなくなる、なんて心配はしないぞ。このカギ、月の光を盗んだな。この光なら、悪魔だって跳びあがって逃げ出すだろう。でも今は、それは問題じゃないな。どうやって、カギをお前に返そう? ねぇ、灯台。お前、いま、起きてるのかい。まったくわからないね」
 魚はちょっとだけ、嫌みっぽく灯台に告げましたが、灯台は特に顔色を変えることはありませんでした。魚の声をちゃんと聞いた灯台は、なおさら、そのカギで月の羊を起こしてほしかったので、朝日を浴びながら、つつましく立っていたのです。……

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