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糸魚川の木地屋
ロクロ挽き 上の写真は、綱を引く妻と木地を挽く夫、呼吸を合わせることが大事でした。大正に水車ロクロができるまで、こういう作業でした。〈糸魚川木地屋の民具〉より
平成の終わりころ、新潟県の糸魚川を訪れました。東近江(ひがしおうみ)木地師会の会報で紹介されており、興味を持ちました。東近江(滋賀県)や会津(福島県)の資料館は見学したことがありましたが、糸魚川は子供の頃その地名を聞いたくらいでした。
今では途絶えていますが、少人数でありながら、木地作りだけでなく漆器づくりから販売まで手掛けたかなり珍しい産地です。下記2冊参考図書。
重要有形民俗資料 糸魚川木地屋の民具 木地製作用具と製品コレクション 編集.発行 木 地 屋 会 平成19年(2006年)
木地屋会報第2集 山に生きた日々 写真が語る大所木地屋の暮らし 編集.発行 新潟県糸魚川市木地屋会 平成12年
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昭和30年代の写真ですが、糸魚川の人々は木地屋を止めても山仕事には従事していました。栃の大木を切りマエビキ(ノコ)で引き分けたところ。背高く大きな材に座った人は、気分良さそうです。〈山に生きた日々〉より
歴 史
◎江戸時代末
江戸時代の末、当時の高田藩主の山地開拓の要請を受け、1792年飛騨(岐阜県)の数軒の木地屋が移住してきました。木地挽きしながらの田畑の開墾は困難だったようですが、その後も移住してくる所帯はありました。
◎大正時代~戦前
大正頃には9軒の集落内部で、木地の制作から漆塗りまでこなす分業体制ができました。大正から戦争前までは最盛期で、蒔絵の箱膳まで作る技術を持ち、「椀講」という販売組織を設けて販路拡大にも取り組んでいきました。
◎戦中、戦後
ところが戦争になると、中国産漆の輸入停止と戦時統制経済のあおりを食って、急速に衰退してしまいました。戦後には漆器業を復興させようという動きもありましたが、安価なベークライト食器の普及や後継者不足などにより途絶えてしまいました。
◎未来へ
そして、昭和62年に木地屋出身者12名は、民俗資料収集と歴史調査の会を結成しました。伝統ある木地屋の文化や歴史が消えてしまうという思いから活動を展開していきました。平成8年(1996年)に、木地屋の民家を移築復元し木地屋民俗資料館が開館し、平成14年(2002年)には国の登録有形文化財(建造物)となりました。
木地屋民俗資料館
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〈越後大所新田 木地屋民俗資料館〉リーフレットより
静岡からここにたどり着くまで、車で6時間ほど。新緑が鮮やかでいいねぇなんて気分にはほど遠く、道中は山また山の続く景色でした。
資料館は大きく風格のある建物です。短かったとはいえ、隆盛を極めていたことがうかがえます。中に入り展示物を見ていると、子供の頃に戻ったような懐かしさがありました。木曽でも使われていた道具や、名前だけは知っていた道具も数多くありました。
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ジク様のお正月 木地挽きの道具ロクロは、木曽でもジクと呼ばれていました。糸魚川では、お正月にお神酒まで備える丁重さで、感心しました。 〈山に生きた日々〉より
たぶん、仕事の組み立てが一緒なのでしょう。(仕事の仕方や道具などの名称は、産地によって結構異なります。)そういえば、木曽で近所の人が糸魚川で仕事をしていたと聞いたことがあります。遠く離れているようでも、産地同士の交流があったようです。糸魚川の蒔絵の技術も会津から取り入れたそうです。
そして、1000余点の資料が丹念に収集整理されていました。長く地道な調査が積み重ねられてきたのでしょう。「木の器の文化」を後世に伝えたいという、木地屋を祖先に持つ人々の熱い思いが伝わってくるようでした。
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「越後いといがわ 木地屋の里 」リーフレットより
木地屋民族資料館 (←リンクしています) 会館 6月1日より11月の降雪まで /大人300円 子供200円
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それにしても、わずか9軒で営んでいたというのは、産地というより木地屋集落と呼ぶ方が適切な気がします。さらに販売もこなす手広さにですが、小規模すぎて産地問屋がなかったから、自分たちで販路開拓が必要だったのでしょう。
産地問屋とは、産地で製品の企画から生産管理までを担っており、今風に言えばディレクターに近い存在です。一般に考えられる問屋は、製品の在庫や流通を管理しており、両者の仕事内容はかなり異なっています。
そのうち産地問屋についてもお話しできればと思います。工芸というと、用の美や、民芸運動などの精神的な面に光が当てられがちです。けれど、たまには産業の方向から考えてみるのも面白い気がします。