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思い出 … 四つ椀
若い時、今よりスリムでかっこいいお兄さん(?)だった頃の話です。親切な方のお力を借り木曽から伊豆に出てきたばかり、仕事もさほど軌道に乗っておらず、文句なしに貧乏だったころです。
沼津の一軒の骨董店、私の眼はあるお椀にくぎ付けになってしまいました。
出会い
それは四つ椀でした。漆の肌合いの経年劣化により、相当古いと思われました。四揃いでありしっかりした仕事なので、お寺の什器だったのかもしれません。また、ロクロ挽きや漆の刷毛目にも、人の手による温かみが感じられました。博物館や展覧会以外に、実物としてほとんど出会ったことのないお椀でした。
この大らかな佇まいがいいなぁと眺めているうちに、どうしても欲しい。けれど、値札の10万円は当時の私にはとんでもない金額で… ぐずぐずと思い悩んでいましたが、妻を伴いいったんお店の外に出ました。
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「ねぇ、あのお椀欲しいんだけど…」
身重な妻は冷ややかな眼差しを返します。
「いやぁ 一度じゃないよ。分割で払えば、月に一万くらいづつ、何とかなるんじゃないか?」
「じゃ、お店の人に頼んでみたら?」
「あぁそんな事 、とっても俺には言えない。だからあんたに頼んでる。話してみてくれ、頼む!」
無理を承知のような話でしたが、お店の人は仏様のように寛容でした。毎月一万円を11回払うという約束でしたが、最後の11回目はいいよとおまけしてくれたのです。一瞬言葉が出ないくらい驚き嬉しかったのを覚えています。
その四つ椀は、今では工房の棚に飾られています。
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気になること
四つ椀の解釈は今や驚くほど色々ですが、基本は飯椀や汁椀の中に中皿と小皿の入った入れ子を指します。
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茶懐石でも使われることがあり、中皿と小皿をお椀のフタとして使用することがあるようです。その四つ椀が総朱であれば問題ないのですが、たまにアレレと思う時があります。フタの糸底だけが黒い時です。
根来では、通常は糸底に朱を塗りません。(下の画像を参照 ↓ )朱の顔料は高価なので器の底にまで朱を塗らないのです。下品な言い方をすれば、お椀の底は人に見せないお尻のようなものだから、高価で美しい朱なんて塗らなくていいということなのです。(一種 業界の常識のようなことです。)なお、初めからフタにする予定の糸底には朱色を塗っています。
ですので、フタの糸底に当たる所が黒いとお尻を見せているようで、私はかなり居心地が悪いのです。もし根来の四つ椀を入手されたら、中皿と小皿は転用せずそのままお皿としてご使用下さい。小うるさく聞こえるかもしれませんが、その意味を気に留めていただければ幸いです。
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あとがき
四つ椀を巡って、若い頃の恥ずかしい話からお爺さんの小言まで、気ままに書いてみました。それにしても、名前を列挙する気になれないほどお椀の種類は多く、暮らしの場面ごとで使い分け愛用されてきたからなのでしょう。
不安定な梅雨時になりましたが、お椀の中で湯気を立てるご飯やみそ汁を眺めていると、ほっとして落ち着きます。日本の歴史に育まれた生きる知恵なのかもしれませんね。ご飯はゆっくり食べたいものです。
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