工房スナップ … 斧、与岐(ヨキ)
手斧、チョウナに続き、斧について書きます。子供の頃、木曽では斧ではなく与岐(ヨキ)と呼んでいました。(同じものですが、ヨキの方が耳になじんでいます)
斧、与岐(ヨキ)
以前紹介した手斧は父が使っているところを、時々目にしました。祖母も中切(チョウナ)を上手に使っていたと聞きました。
ところが、この5本の斧は使われることなく、仕事場の片隅にほこりをかぶり積まれていました。昔は父祖が使ったらしいと聞いたのですが、私はまともに見たこともない廃れた道具でした。
大人になってから、「奥会津の木地師」という記録映画を見ました。その時昔の木取りの作業について初めて知り、あの埃をかぶった与岐(ヨキ)はこんなふうに使われた重要な道具だったのかと、衝撃的でした。
明治以前の木地師の暮らしを知って、やっと合点がいきました。木地師たちは伐採の許された山で立木を切るために、斧やヨキは欠かせない道具だったのです。それぞれ用途に合わせて使い分けていたのでしょうが、そこら辺の話を一切聞いてないのが今になれば残念なことです。
糸魚川木地屋の道具
ところで、数年前に新潟県糸魚川の木地屋民族資料館を訪れました。口絵の写真をはじめとして、丹念に集められた1500点近くの資料に見入ってしまいました。長野県木曽と糸魚川では遠く離れているにもかかわらず、子供の時見たような道具ばかりでした。(呼び名は地域ごとに違うことが多い)
思い出してみれば奥会津も同様で、惟喬(これたか)親王伝のある地域は仕事の組み立てや道具に共通点が多い気がします。
海外の木工関係の道具を見ていて、似ていると感じることがあります。作業の目的も、働く人体の構造も一緒なら、おのずと道具も似てくるのでしょう。その国ならではの発想もあって、それはそれで興味深いのですが…。
オランダにわたった大工道具から分かること
木工道具のちょっと面白い話。江戸時代にオランダ商館員シーボルトは日本の諸道具、工芸品、文化資料を持ち帰りました。先任の商館員プロムホフとフィッセルの時から、日本の資料が持ち帰られるようになりました。この3人によって集められた資料は、ライデン国立民族博物館の日本コレクションとして収蔵されています。
このコレクションの特徴は、本来なら消耗品である道具が未使用なまま保存されていることです。道具の完品は残りにくく、江戸時代だと分かるものは少ないそうです。(例えば刃物は研がれるため、ほぼ原形をとどめません)。意外ですが、海外の収集が日本の道具を知るために有益なのです。
自分の身近にあった斧、ヨキのことから、海外の道具コレクションまで話が広がってしまいました。道具の話は間口広く奥行きもあって、つい寄り道しがちです。では、原点に立ち返ってみましょう。
人間の道具の発生は旧石器時代の打製石器までさかのぼるとされています。そうなら、父祖たちの使ってきたチョウナも斧もその発展形態です。ざっくり言えば、石が金属の刃に代わり腕力が電力へと進化してきただけのことなのです。道具から探れば私の仕事は、旧人類由来のようです。