使える交渉術! 第17話 『次の準備へ』
前回まで(第16話)
武井、香田、そして千田の三人は、本山自動車のオフィスビルを訪れ、技術担当の橋本と会議に臨んだ。厳格な雰囲気を持つ橋本を前に、武井は破損した試作品に関する詳細をデータや写真を用いて説明。その後、香田が数値データやグラフを基に破損原因を分析し、改善案を提案した。香田は緊張しながらも、武井の励ましを受けて自らの意見をしっかりと述べ、橋本の評価を得ることに成功した。
第17話
その日の夜、家に戻った武井はネクタイを緩めソファに腰を深く下ろし、ようやく一息ついた。
程なく机の上に置いた携帯が鳴った。画面には「美優」と表示されている。
「みゆ」
電話の向こうから、明るく弾むような声が返ってきた。
「青くん、今、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だよ。 今戻ったところ」
「遅かったね。 忙しそう」
「まあね。今日はお客さんのところで会議があってね、移動で疲れたよ。トラブルでドタバタだったけど、なんとか乗り切ったよ。」
「さすがね、青くん。きっと頼られてるんだ」
美優の声には、少し誇らしげな響きがあった。
「まあ、どうかな。でも、今日は香田っていう後輩がチームに入ってさ。 なかなか出来るやつで、いいコンビでやれそうだ。」
「へえ、いいじゃない。頼れる後輩がいるって心強いよね。」
そのあと、二人は取り留めのない話を続けた。
「そういえばね、この前、会社の子たちとランチ行ったの。あんまり行かない店で、パスタの。隣の席に3、4歳くらいの女の子がいてね、ずっと『公園行く!公園行く!』って、繰り返してて、その言い方がめちゃくちゃ可愛かくて!」
美優は楽しそうに笑う。
武井もその様子を想像して、思わず笑みをこぼした。
「そりゃ、かわいいね。」
さらに、美優が最近見つけた買い物の話に移る。
「そうだ、青くんにぴったりの手袋見つけたの。すごくデザイン良くて、青くんに絶対似合いそうだったよ。今度一緒に見に行こうよ。」
「仕事で使える、ちゃんとしたの持ってないから。いいね、近いうちに行こうか。」
女性は話がコロコロ変わる。
そんな会話が一通り落ち着いた頃、武井がふと尋ねた。
「そういえば、その後、仕事はどう? 順調?」
「… そうね、まあ、..いろいろあるけど、何とかやってる」
美優は後半は張りのある声で答えたが、少しだけ疲れた様子も感じらとれた。
武井はそのニュアンスに気づきながらも、あえて深く聞かず、「そっか」とだけ答えた。
美優が明るい声で続けた。
「晩ご飯行こうよ。すっごく美味しいピザのお店、部長に教えてもらって。女子で行ったんだけど、珍しいビールが選べて楽しいよ。」
「いいね。じゃあ、日にち決めよう、あとで。」
「そうね、今日は疲れたわね、ゆっくり休んで。」
「おやすみ。」
「おやすみ」
電話を切ると、武井はしばらく携帯を手にしたままボーッとしていた。
まあ、仕事でいろいろあるのは当たり前。美優が元気そうでよかった。
「次に会うとき、また話そう…」
独り言のように呟きながら、武井は再びソファに背を預け、今度は自分に起こった今日の出来事を思い返していた。
オフィスにて
翌日、技術部のオフィスでは、昨日の成果を受けて新しい試作品の準備が始まっていた。香田は武井のデスクに資料を持って相談に来た。
「武井さん、昨日の会議で出た改善案をもとに、新しい設計の効果とリスクをまとめてみました。内容を見てもらいたいのですが…」
武井は資料に目を通しながら、「さすがシンジ、仕事が早いな」と笑顔を見せた。武井は、香田を”シンジ”と呼ぶことにしていた。香田も違和感なく受け入れていた。
「… そうだな、このリスクのまとめはおそらく全て網羅していてOKだ。疲労寿命は実験で検証するのは費用がかかるから、もう少し信頼性のあるデータを集めた方がいいな。そうだな.. 後で良さそうなデータベースのリンクを送るから、それとウチのデータを比較しよう」
「はい」 香田は真剣な表情で頷き、ノートにメモを取り始めた。
ノートは殴り書きの文章や絵やグラフらしきものがびっしり書かれていて、真っ黒だ。繊細なイメージの香田だが、相当なメモ魔らしく、武井は(こいつ、かなり勉強してるな)と感じた。
さすがは玄人裸足のモデラーだ。
(この緻密さは敵わないな)と思い、武井は、交渉戦略とデータ分析結果をどうリンクさせるかに、自分の役割を集中させることにした。
(香田から学ところは学び、自分ができることに集中しよう)
武井と香田の会話は、「交渉戦略の準備過程」においていくつかの良い点を示しています。
1. 迅速な対応と資料作成
香田は会議で出た改善案を迅速に整理し、新しい材料の効果とリスクをまとめています。これは、迅速な行動が重要な交渉準備において高く評価されるべきポイントです。
準備した資料がリスクと効果の両方を網羅している点は、交渉相手に信頼を与えるために不可欠です。
2. データの網羅性と改善提案
武井が香田のリスクのまとめを「全て網羅していてOK」と評価したことから、情報の網羅性と的確さが確保されていることがわかります。
武井はさらに「信頼性のあるデータを集める」という改善提案をしています。このような具体的なアクションプランを提示することは、戦略的思考を深め、準備をより精密なものにします。
3. 効果的なコミュニケーション
香田が積極的に資料を持って相談に来ることで、チーム間の情報共有が円滑に行われています。
武井が香田を「シンジ」と呼び、笑顔を見せながら評価する場面は、上下関係がありつつも信頼感と協力的な雰囲気を育む一助となっています。
4. 役割分担と強みの活用
武井が「香田から学べるところは学び、自分ができることに集中しよう」と考えている点は、各メンバーの強みを認識し、役割を明確にする良いリーダーシップの例です。
香田の緻密なメモ作成能力や勉強熱心さが描写され、チーム内での強みの活用が伺えます。
5. 戦略とデータ分析の統合
武井が交渉戦略とデータ分析をどうリンクさせるかに意識を集中している点は、データを単なる数値として扱うのではなく、交渉の文脈に応じて効果的に活用しようとしている姿勢が見られます。
これは交渉準備における具体的かつ戦略的な思考の良い例です。
6. チームの協力的な雰囲気
チーム内のポジティブな雰囲気が全体を通じて描かれています。香田の真剣さに対する武井の評価や笑顔が、協力的な職場文化を強調しています。
整理すると、
この場面では、迅速な対応、データの網羅性、役割分担、そして戦略的思考が交渉準備を効果的に進めるうえで重要な要素として強調されています。また、チームの協力的な雰囲気やメンバーの強みを活かしたアプローチが、準備過程をさらに強化していることがわかります。