使える交渉術! 第8話
(この物語は、武井青という若手技術者の経験を通じて、「交渉」を学んでいきます)
前回まで
武井青は本山自動車からの部品仕様変更の要望に対応するため、提案資料をまとめ上げ、上司の千田に確認を依頼。千田の助言を受け、提案を進める準備を整えた。さらに、友人の美優が交渉に苦戦している話を昼休みに千田に相談。千田は「キーパーソンを見極めること」の重要性を教え、その助言を美優に伝えた武井は、少しでも力になれたことに安堵する。そして、午後にはさらに重要な会議が控えていた。
第八話
千田の声に呼ばれ、武井は急いで資料を抱え、千田の後を追った。第3会議室のドアが開かれると、すでに石田と江崎が席について待っていた。千田は軽く手を挙げ、入り口近くの席に座った。「お待たせしてすいません。」
石田はにこやかに頷き、「いいえ、こちらもまだ資料に目を通していたところよ。」と答えた。
その隣では江崎が資料に目を通している。彼は第2実験課の課長として、材料の変更が試験日程にどう影響するかを確認するために呼ばれている。
千田が口火を切った。
「本山自動車から仕様変更についていくつか質問が来ています。それらに答えるとともに、試作品の準備と実験検証の内容とスケジュールについて打ち合わせたいと思います。竹脇部長とは来週前半に打ち合わせを設定したい。では、詳細は武井から説明します。」
千田は武井に目配せすると、武井は一礼し、持ってきた資料をテーブルの中央に置いた。「それでは、始めます。今回の仕様変更についてですが、竹脇技術部長からの要望に応えるため、いくつかの代替案をまとめました。」
「具体的に、どの部分を変更するか説明してくれ。」
千田が、資料を眺める江崎を横目で見ながら言った。
「まず、部材の置き換えについてです。」武井は資料を指し示しながら説明を始めた。
「現在使用しているアルミ材を、コストを抑えるために強度が近い別の材質に変更する案が第一です。本山の車両実験では、環境温度が想定よりだいぶ低かったので、耐熱性は若干下げても設計上は問題が出ません。ただ、もちろん実験部での耐久試験を行う必要があります。」
江崎が顔を上げ、質問する。「熱処理は同じだね。製品ばらつき評価するから、それ用の試作品手配は頼むよ。 何個?」
武井は即座に答えた。「はい、熱処理はT61です。試作品は12個準備します。1週間ください。」
江崎は腕を組み、少し考え込んだ後に頷いた。「わかった。耐熱試験は1日に2回が限度だな。検査とデータまとめるのに…. トータル、8日くれ。」
「ありがとうございます」と武井は深々と頭を下げた。
次に、石田が資料を手に取り、ページをめくりながら尋ねた。「代替案として、部品の一部をモジュール化する案も出ているわね。これに関してはどう考えている?」
武井は少し緊張した表情で説明を続けた。「はい、部品のモジュール化により、生産の効率が上がり、組み立てコストを削減できると考えています。ただし、設計変更が必要となるため、先方と詳細な調整が必要です。この案については、コスト削減効果の確認のため、今週中に製造部と打ち合わせの予定です。」
千田は資料に目を落としながら、静かに聞いていたが、ふと顔を上げた。「全体としては良い提案だが、一つだけ気になることがある。」
「はい、なんでしょうか?」武井は身を乗り出した。
「先方が開発日程を厳しく見ている以上、万が一実験が失敗した場合の対応策をあらかじめ考えておく必要がある。モジュール化は変更点が多いから先方を納得させるのは骨だ、バックアップ案にするにはリスクが高い。」
「はい..確かに」武井はバツが悪そうに答えた。
振り出しに戻されたかのような静寂に、石田が割って入った。
「車両実験の熱データを使った温度分布シミュレーションと応力解析結果があるでしょ?」
「はい、あります。すぐ出ます。」
武井はPC内のレポートフォルダから最新の解析結果を会議室のモニターに映し出した。
「だいぶ温度低いじゃない。そもそも最初の想定はなぜ高かったのかしら?」
「先代モデルの車両データを参考にしています。」武井が言った。
「なぜこれほど温度が違うのか、先方に確認した?」
「確か聞いたのですが.. 先方も詳しいことは言わず… すいません、厳しくない結果が出まして。本山の設計部と一緒に喜んでました。」
武井の言いぶりがおかしかったのか、石田は手を口あたりに持って行って隠したが、明らかに笑っていた。
「すいません、私の確認不足です」千田が恐縮して石田に目をやった。
「まあ、しょうがないわね。.. データを見る限り、代替材で行そうね。大丈夫です。」石田の確信を込めた言葉だった。
「実験準備は進めてください。ただし、先代モデルより温度が低い原因については、千田と武井君で責任持って確認して、大至急!」
「はい!」千田の声に被せて武井の声が会議室に響いた。
「私たちは本山からの車両実験のデータに基づいて判断しているから、そこが崩れれば、開発内容もスケジュールも、”リスク”はシェアして進めなければなりません。もし揉めそうなら言ってください、私が竹脇技術部長と話します。では、以上ね。」
ニコッと笑う石田に釣られたのか、江崎も微笑みながら、「こちらはすぐに試験準備を始めます。結果が出次第、報告します」と言った。
会議は滞りなく終わり、千田が立ち上がった。
「武井、午後の提案書の作成、頼むぞ。今日の5時にレビューしよう。その間何かあれば、会議中でも構わないので連絡くれ。」
「はい、ありがとうございます」と武井は答え、会議室を後にした。
会議室を出た後、武井は肩の力が抜けたように大きく息をついた。(なんとか、うまく進んでいる。午後の提案書も早めに仕上げてしまおう。)
一気に緊張から解かれ、一瞬抜け殻のようになった武井は、おもむろにスマホを取り出し美優からのメッセージを確認した。
(おっと、何か来てる)
「青くん、アドバイスのおかげで打ち合わせがスムーズに進んだよ!キーパーソンを見つけたのが良かった。納期調整うまく話が進みそう。ありがとう!」
武井はスマホの画面を見て、ふっと笑みを浮かべた。(良かった。けど、今はこっちが大変だよ)
午後の仕事に向けて、武井はデスクに戻り、再び資料作成に集中しようとPCを開けた。(おっと、その前に本山の実験部に電話だ)
壁の時計を見ながら、少し焦っている自分を感じていた。
解説
このストーリーの中には、いくつかの交渉にも役立つTIPSが含まれています。それぞれの場面でどのような交渉技術が使用されていたでしょうか?
1. 資料やデータを準備する重要性
場面: 武井が本山自動車からの仕様変更について代替案を準備し、詳細な資料とデータを基に説明。
TIPS:
交渉では、提案を支える具体的なデータや資料を準備することが重要です。相手に説得力を持たせるためには、数値や論理的根拠を示すことが効果的です。
2. バックアッププランの考慮
場面: 千田が「実験が失敗した場合の対応策」を事前に考える必要性を指摘。
TIPS:
リスク管理を意識して交渉に臨むことが重要です。特に相手が慎重である場合、バックアッププランを用意しておくことで、安心感を与え、交渉をスムーズに進めることができます。
3. 明確で迅速な回答
場面: 江崎の質問「何個必要か?」に武井が即座に答える。
TIPS:
交渉中に相手の質問に対して明確かつ迅速に回答することは、信頼を得るうえで大切です。特に技術的な交渉では、準備の良さが信頼性に直結します。
4. 相手の意見を尊重しながら自分の提案を進める
場面: 武井が部品のモジュール化について説明した際、石田がリスクの高さを指摘。
TIPS:
相手の意見を受け入れる柔軟性と、自分の提案を根拠をもって進めるバランスが必要です。リスクを共有する意識を示すことで、合意形成を促進します。
5. 信頼できるデータの活用
場面: 武井が温度分布シミュレーションと応力解析の結果を提示。
TIPS:
信頼性の高いデータを活用することで、交渉の基盤を強化できます。データが論拠となることで、感情的な議論ではなく合理的な決定が可能になります。
6. 柔軟なフォローアップの提案
場面: 石田が「原因確認は武井君と千田が責任を持って進める」と指示。
TIPS:
問題が発生した場合、迅速に対応する姿勢を見せることが重要です。責任を明確にすることで、信頼を損なわずに交渉を進めることができます。
7. ポジティブなコミュニケーションで場を和ませる
場面: 石田が武井の説明を聞いて微笑むシーン。
TIPS:
時にはユーモアやポジティブな態度を取り入れることで、緊張した場を和らげ、関係を円滑にすることができます。
8. 効果的なタイミングでのフォロー
場面: 武井が会議後すぐに本山の実験部に連絡を取る。
TIPS:
交渉後のフォローアップを迅速に行うことは、信頼を強化し、交渉を成功させる鍵となります。
この物語は、技術的な打ち合わせの中に多くの交渉TIPSが埋め込まれており、特にデータ活用、リスク管理、信頼構築といった要素が強調されています。