見出し画像

交渉術 第23話:偶然の交差


前回までのあらすじ

武井青は、美優のマンションを訪れ、穏やかな時間を過ごしていた。料理の準備中、美優が買い出しに出る間、青は台所で野菜を切りながら仕事で今週起こったことを振り返り、思いを巡らせる。
部屋に戻った美優と共に料理をつくり、食卓で語り合う中、二人は穏やかな時間を過ごしていた。



第23話:偶然の交差

日曜の昼下がり、里川美優は高校時代の友人、佐田彩乃とよく立ち寄るカフェでランチを楽しんでいた。
店内はほどよい混み具合で、柔らかいBGMが流れている。

「それで最近、仕事はどう?」

彩乃が食前に来たアイスカフェラテで喉を潤しながら言った。
少し前に大分愚痴を聞かされたので、彩乃も気になっていた。

「うん、忙しいよ。青くんとも週末くらいしか会えないけど、彼も仕事頑張ってるし。」

美優はそう答えながら、微笑んだ。

「仲良くて何より」すんとした顔で彩乃が応えた。

彼氏と順調なのは良いが、自分の話をあまりしないことが気に掛かる。

まあ、不満があるのは、どこの職場でも同じだろう。

音大に進み、好きな音楽を続ける決断をした彩乃自身も、日々、音楽講師の仕事でフラストレーションと格闘している。

「デザート食べる?」「メインのお腹具合で決めるよ」「私は食べるよ。チーズケーキ美味しそう!」
… なんて会話をしていると、店の入り口が軽く開き、子連れの女性の姿が見えた。それ以上は特に意識もしなかったのだが、そのお母さんがこちらのテーブルに歩み寄ってきた。

「彩乃さん?」その人は美優に少し目配せしながら彩乃に声をかけた。

「あ、石田さん!」

彩乃が驚いて見上げると、そこには石田紗希子が立っていた。
紗希子の息子の樹(いつき 5歳)は、彩乃が勤めている音楽学校に通う生徒だ。

「樹くん、こんにちは」

「彩乃先生に会えて良かったわね」

紗希子がニコやかに樹に促すと、笑顔の樹は、少し照れたように紗希子の足を触った。

「最近、女の人にすごく照れるようになったのよ。 マセちゃったのかしら?」

2人とも樹を見ながら、満面の笑顔を見せた。

「彩乃さん、こんにちは。ここで会うなんて偶然ね。」

「ほんとですね。あ、石田さん、こちらは高校時代の友達の、里川美優さん。」

「里川です。」

「あ、石田です。 彩乃さんには息子がピアノを習っててね。 もう1年かしら。」

「そうですか。あ、もし良かったら、ご一緒します? 今、頼んだばかりですし、この席、二人には広すぎるんで。」

美優が紗希子に声をかけた。日曜の昼で混んだ店内は、席を探すのも難儀しそうだ。

「いえ、ご迷惑だわ。 息子が一緒だし。」

「いえいえ、子供は大好きですし。 もしご迷惑でなければ。」

「よかったら、ご一緒にどうぞ。」彩乃も応じる。

「そお? ごめんなさいね、突然。」

いえいえ、と言いながら、美優は樹に手招きする。

紗希子と樹が同席し、和やかな空気の中で会話が弾む。

「そういえば、美優の付き合っている人って技術関係の人なんですよ。 ○○大の秀才。」

彩乃がふと話を切り出した。

「しっかりした固い仕事で。美優は、いい意味ですけど、いい加減なところがあるからバランス取れてるよねって、話すんです。」

美優は少し照れくさそうに笑った。

「なんだっけ、大手だよね、確か『前岡..』」

「前岡工業ね。」

「そうそう、武井くん、前岡工業だったね。」

その話を聞いていた紗希子がふと表情を変えた。

「彼の名前って、武井青くん?」

美優は驚いた様子で答えた。

「はい、そうです。どうしてご存じなんですか?」

「あ、そう! .. 一緒の職場なんですよ。」

紗希子の言葉に、美優はさらに驚いた。

「そうなんですね。うわ、びっくり。」

「ええ、すごい偶然じゃない?」彩乃も驚いた様子を見せた。

「どうですか、武井くん、職場で。」彩乃が少し茶化すように尋ねた。

「ええ? どうって、頑張り屋さんですよ。ちょっと真面目すぎるくらい。」

「らしい、らしい。」
彩乃は頷きながら、来たばかりのアンチョビ入りペペロンチーノを頬張った。

その後もとめどない話は続き、美優は、樹の話を、紗希子に振った。
樹は美優の視線を避けるように、紗希子の方を向いていた。彩乃は微笑ましくその様子を見ていた。

カフェを出る頃には、3人は打ち解けた雰囲気になっていた。

「またお会いできるといいですね。」

紗希子が別れ際にそう言うと、美優も深く頷いた。

「ぜひ、また。」

こうして、美優と紗希子の偶然の出会いは新たなつながりの始まりとなった。
武井青が知らない場所で、彼に関わる人々も少しずつ交差し始めていた。


いいなと思ったら応援しよう!