忘れたくない、生きることを。
「1秒1秒がかけがえの無い時間」
よく聞くフレーズだ。
綺麗事と思う人もいるかもしれない。
だが、確かに私たちの「1秒」は、
もう戻れない時間であり、二度と手に入らない。
言わば、回送列車のない電車のようなもの。
手からこぼれる砂のよう。
その事実は間違いないのに。
それに気づかされた時は、
「今を生きよう」と前を向けるのに。
どうして、いつの間にか忘れてしまうのだろう。
今日、とあるミュージカル作品を見た。
「ナビレラ」
(以下少々ネタバレを含みます)
70歳で家族にも恵まれ、孫にも恵まれた男は、
どうしても諦められない夢があった。
それは「バレエ」
兄弟の葬式からの帰路、
偶然か必然か通りかかったバレエ団の練習風景を窓越しに見かけた彼は、
過去のとある思い出から、どうしても諦めきれなかったバレエを始めるのだ。
「何歳だと思っているんだ」
「恥ずかしい」
そんな周りからの反対を押し切って。
認知症を抱えていることを、家族にさえも秘密にして。
「それでも」
その思いで彼はひたむきにバレエと向き合い、
生き生きとした日々を過ごす。
「私は人生の日暮れを迎えた」
「あと10年若ければ、もっと成長したはずだ」
人生の終わりを悟っている彼が発する言葉は重い。
「バレエを始めてから毎日が愛おしい」
「私は本気だ」
この台詞を聞いて私は思った。
何かに夢中になることは、まさしく
「生きること」なんだと。
そして、その時間は限られている。
「あと10年早ければ」なんて、
きっと何歳になっても思うだろう。
私も22歳からダンスを始めた。
もっと早く始めていたら今頃自由自在に手足を動かせていたかもしれない。
そう思う日は少なくない。
でも、もう戻れないのだ。
今こうして文字を打ち込んでいる間も、
確実に老いている。
もっと言えば、「死」へ向かっている。
何かをするのに遅すぎる事なんてないが、
「明日やればいいや」
「また今度行こう」
が二度と来ない可能性は十分にある。
私たちには時間がある。
だが同時に時間がないのだ。
それはまるで、鉛筆が削られていくかのように。
それをどうして忘れてしまうのだろう、私は。
忘れたくない、忘れたくない。
だからここに記す、忘れないために。