コーヒーと大人になりかけの私
初めてコーヒーを美味いと思ったのは、社会人になってからのこと。
カフェでケーキセットにコーヒーを頼んだのがきっかけだった。
いつもは紅茶を頼むのに、なぜだか分からないが、
その日はどうしてもコーヒーが飲みたかった。
子どもの頃は、「デザートには甘い飲み物しかあり得ない」って
本気で思っていた。
それなのに、その日飲んだコーヒーは紛れもなく美味しかった。
嬉しくもあり、切なくもあり、悔しくもあった。
「大人になったんだよ」
一足先の大人が言う。
たかがコーヒー1杯なのに、こんなにも心が揺さぶれるなんて。
「こんな苦いもの、一生飲めない」
幼少の私は、そう信じて疑わなかった。
それなのに今や、ホッとする飲み物に変わりつつある。
これが味覚の変化か。
24歳の春もそろそろ終わりかけ。
あたりは緑色につつまれ、夏をほのめかす日差しが眩しい。
季節の移ろいなんて何度も経験しているはずなのに、
なぜこうも毎回心躍るのだろうか。
ーーー24回目の夏が来る。
人生100年と謳われる現代からすれば、
24歳なんてまだまだ人生の始まりみたいなものか。
そんなことを思いながらコーヒーを口に含む。
・・・ああ、でも確実に「この味」は変わっている。
この24年で、就職もした。
休職もしたし、転職もした。
恋人ができて、別れも経験した。
いろいろな転機が小さな引き金となって、少しずつ変化している。周りも、自分も。
一生飲めないと思っていたものが恋しくなるように、
価値観や感じ方は絶えず変化していく。
「ずっと同じなんて不可能だよ」
ーーーなんて、コーヒーが語りかけてくるようだ。
学生だった頃の私には、
この関係性を一生保ちたいと思っていた友人が何人もいた。
毎日のようにふざけ合った。
時間も忘れて朝まで語り合った。
これだけ親密ならば、大人になってもずっとずっと交流が続くだろうと本気で思っていた。
私だけは変わらない、ずっと。
まるで社会に抗うように、本気で思っていた。
現実は単純だ。
それぞれの進路が決まって、人生の目的が定まれば、
自然と関係性は変わってしまう。
「それが普通」だなんて、諦めたような表現はしたくない。
だけど。
あれだけ毎日のように顔を合わせたあの子は、
今どこで何をしているのかさえも知らない。
生きているのか。
死んでいるのか。
恋人はいるのか。
もしかしたら家庭を持っているかもしれない。
どこか切ない。
が、だからといって、あの頃の時間を取り戻したいわけじゃない。
かつての私ならば、すがって同じ事を繰り返したくて堪らなかったかもしれない。
空虚な幻想を見るかのように。
だがもうここには、ケーキを食べるときにジュースを選ぶ少女はもういない。
私も苦味を好む年頃になってしまったのだ。
「大人になったらいつかわかるよ」
今も昔もこの言葉は好きじゃないけど、
きっと人生はコーヒーみたいなもので、
苦くて渋くて、美味いものなのかもしれない。