ブルーピリオド10巻 感想


この巻が1番好きでした。

9巻の後半から世田介くんの話がメインで進んでいく。世田介くんは絵を描いても才能がありすぎて、本来最も大切な、絵の中身(自分)よりも才能について言及評価されてしまう。幼少期のお母さんから端を発し、小学生時代の同級生にも、絵が上手いという価値で推し測られ、絵自体(自分)は要らないとされてしまう。その中で本当に描きたいもの(自分の内面)を大切にしまいこんで誰にも見せないようになり、一方、外界には自分の絵が上手いという価値を評価してもらえる絵を見せるようになる。つまり、自己を見つめることなく、他の評価に迎合するようになっている。

猫屋敷教授が世田介くんをどう捉えているのかは、デッサンが上手いだけ、などの発言から読み取れはするが、彼女自身のルーツや願望などにも影響していそうなので、今のところ掴みきれない。しかし、世田介くんの、他の評価のために絵を描く、という点が彼女の作家性とリンクし、共感、評価、嫉妬あるいは憐憫?をしているのではないだろうか。そうすると、世田介くんの進級制作の最初の提出案(猫屋敷教授の評価に合わせた作品)に対する期待感も読み取れる。

その後、世田介くんは女児童や八虎との対話を経て、自分が大切にしまいこんだ自己を眺めて満足していることの無意味感、絵の中身(自分自身)を見てもらえることの感動を知り、閉じ込めていた自己を初めて日に晒すことにする。これは世田介くんにとっての初めての真剣なコミュニケーションになったのだろう。そして猫屋敷教授のつまんな!の一言、これが世田介くんの絵と言葉が極めて正確に伝わったことを意味する。外的評価とは関係なく、今の自己を描いただけなのだ、と。つまらない、当たり前だ、人の内面の、しかも極めて個人的なことだから。でもこのときの世田介くんの絵にとっては必要不可欠だった、このつまらないの一言が。

そして八虎がやっと気づいてくれた。何故絵を描いているのか。最初に渋谷が青いことが伝わったときにわかってたのに。それも嬉しかったです。

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