僕は(格ゲーの)勉強ができない。
「格ゲーは座学」とよく言う。
フレームを覚え、コンボを覚え、キャラ対策を覚え、実戦に反映させる。出来なかったことがあればそれを反復練習し、また次に繋げる。清々しいほどに勉強である。
私はそれが出来ない。もっと正確に言えば、しようと思えない。自キャラのフレームは覚えてないし、コンボは初期の初期に覚えた安いものしか使ってないし、キャラ対策なんて今までの実戦経験のみである。そして、それでいいと思っている。
だから私は大きな大会(特にチームを組む大会)には出ないし、コーチングを受けようとも思わない。なぜならこんな鼻くそのようなモチベーションのやつが、他の人の足を引っ張らないわけがないからである。
またコーチングにしても、どうせ自分は練習しないのだから、教えてもらうだけ向こうの貴重な時間を奪うだけだと思っている。そのため全ては独学で片付けてきた。
この考えの悪いところ
当たり前だが、より高いモチベーションを持っている人より成長しない。大会に出るわけでもないので、強豪プレイヤーとの輪が広がるわけでもない。
「高みを目指したい」「成長したい」と思うプレイヤーは、私なんかではなくもっと別のプレイヤーを見たほうがいい。
この考えの良いところ
病まない。これに尽きる。
私は、30年以上触れてきたゲームをもはや人生の一部だと思っている。もう鬼籍に入っている父親は、生前私を見るたびに「いつになったらファミコンを卒業するんだ」と言ってきた。(今の若い人には伝わりづらいかもしれないが、私の親世代はゲームのことを何でも「ファミコン」と呼ぶ。)
しかし、ゲームを辞めるつもりなど毛頭なかったし、これからも無い。私が人生に沈んだとき、助けてくれたのは妻とゲームだった。
だから、私はゲームを「勉強するもの」「頑張らなければならないもの」「努力するもの」「苦しいもの」にしたくない。そんなことは受験戦争を勝ち抜き、社会を生きていくうえで十分摂取しているので、これ以上摂取したらキャパオーバーである。
だから、私は格ゲーで病まない。娯楽としての線引きを引いているので、いくら負けようがタワーやランクマでスコスコにされようが、悔しさこそ覚えるが病みはしない。それがゲームを一番長く続けるコツだと知っているからである。
最近、私の知り合いで格ゲーで病む人が多い。
座学を一生懸命し、人に大きな期待をかけられ、自分に大きな期待をかけ、結果を出せずに涙を流す。ここまでならほろ苦い青春の1ページとして微笑ましく見ていられる。
ただ、それでメンタルを病む、となると少し話が変わってくる。
格ゲーを触れなくなるくらいなら、(良くはないが)まだいい。問題は実生活に影響が出てくるくらい気にし始めることである。ここまで来ると立派な精神疾患であり、すぐに然るべき治療を受ける必要がある。
問題は、そのくらい病んでいる人が、私がよく話す人もそうでない人も含めゴロゴロいることだ。
私はゲームを愛するものとして、「ゲームは苦しいもの」と思ってほしくはない。私はフロムゲー信者なので、苦しい時期を乗り越えた先のカタルシスもまた乙なものであることは知っているが、格ゲーに終わりはない。俺より強いやつを倒しても、そいつよりもっと強いやつが延々と出てくるのである。これに真正面からぶつかり続けたら体か心がぶち壊れる。
病んでいるやつ、今すぐにあったかいもの食べて寝て外に出てリフレッシュしろ。
格ゲーはいつでもあるが、お前の精神は一つだけで換えは効かない。一度壊れたら壊れっぱなしだ。それを努々忘れるな。