【文フリ試し読み】タンポポは電車の座席に根を生やせるだろうか(10/9〜10/17)
新刊の日記本『タンポポは電車の座席に根を生やせるだろうか』から、ちょうど一ヶ月前の今ごろに書いた日記を無料公開します。
(発売時には加筆・修正が入る可能性があります)
二〇二四年十月九日(水)
始業前に牛乳とレターパックを買いに行く。
コンビニへ続く道路は、東側と西側でまったく雰囲気が変わる。
西側は剥がれたコンクリートで道が凸凹しており、色褪せた標識になんだか寂しい気持ちになる。東側は公共施設と隣り合い、レンガで舗装された歩道のすべてが、施設からはみ出した緑で木陰になっている。
時間がたっぷりあったので、わざと青信号を見送って東側を歩くことにした。
「歩きたい道のために青信号を見送るなんて贅沢だな」という気持ちと「これぐらいの贅沢がいつでもできなくてどうする」という気持ちの両方がわたしの中にある。
二〇二四年十月十日(木)
手の甲に、白く淡く光るかけらが置かれた。
手を揺らすように傾けると、内側から光る白色に青色や桃色の光が覆い被さる。
「それは、アコヤ貝だよ」
誰かの声で目が覚めた。
アコヤ貝を検索するとそれは真珠を作る貝のことで、わたしの手にあったのは真珠ではなくまさにアコヤ貝の方だった。ぼやぼやとした夢の記憶。
二〇二四年十月十一日(金)
出張。昼食を食べていると部活の話題になり、小花柄のワンピースが似合う同僚が嬉しそうに話す。
「わたし、高校では合気道部だったんです」
「えっ、じゃあ護身術とかできるんですか?」
「できますよ! わたしの手首を掴んでみてください」
突然右手を差し出されてドキッとする。そんな、罠みたいな提案ってある? 手首ってどこをどう握ればいいんだろう。てか「護身」って何をされるの? 恐る恐る、手首のポコっとした骨を握ると「あっ」と小さな声がした。
「そっちだと鮎川さんの腕を痛めつけちゃうんで、左手で握ってください」
ドキッ。
「あ、はい」と動揺を隠せないまま、左手で握り直す。
動揺してしまったのは、彼女の発言のせいじゃない。「痛めつけちゃうんで」と言ったときの笑顔に、なぜだか異様にときめいてしまったのだ。
「えいっ」という掛け声と同時に、わたしの左手は彼女の右手からほどかれる。
ひねられた左手は痛くなかった。
二〇二四年十月十二日(土)
「〇〇さんに教えてもらった『NEWS』の曲、聴きましたよ。月火水木金土日みたいなやつ」
通じた。
二〇二四年十月十三日(日)
庭のメダカ水槽が緑色のまだらになっている。
暑さと日光で藻の増加が止まらず、底が半分も見えない。メダカがぽつぽつ死んだ原因はこれかもしれないと思い、熱帯魚屋でヤマトヌマエビを五匹買う。
多ければ多いほど早く藻が消えると聞いて、気持ち多めに池へ投入した。
そこから四時間経った今、七百五十円で買ったエビたちの姿は一匹しか見えない。
消えた? 逃げた? 食われた? 溶けた? 「そんなバカな」と池に指を突っ込んで、水草や石をかき回すが本当にいない。
困り果てて「ヤマトヌマエビ」と検索しかけると、予測変換に「脱走」と続く。
これが答えか。メダカのために水草や石で作った傾斜が、脱走のお膳立てになったらしかった。最後の一匹も翌日には姿を消して、わたしは枯れ枝でせっせと藻を取り除いている。
二〇二四年十月十四日(月)
作業に飽きたのが十二時だったのか、十二時を指す時計を見た瞬間に「もういいか」と思ったのか。自転車に乗ってスーパーへ昼食を買いに行く。
風がなくて、暖かくて、静か。倒れるか倒れないかの速度でゆっくりペダルを漕ぐと、身体と空気がじゅわじゅわと一つになっていく感じがして、自分の輪郭が溶け出しそうな感覚があった。
おだやかで気持ちのよい、今日みたいな日がちょっとこわい。
二〇二四年十月十六日(水)
Netflixで『アジアに棲む危険生物七十二種』を観る。
「牙」「毒」など危険性ごとにそれぞれ六種の生物を紹介して、順位をつけていくテレビ番組だ。研究者によるコメントや被害者インタビューもあって、内容はかなり濃い。
インドコブラ、スローロリス、ファットテールスコーピオン。
動物が人間を襲う方法や症状を観ていると、不謹慎だけどワクワクする。
特に好きなのは毒の回。
蜂にもクラゲにも刺されたことがないので、わたしの中で毒はまだファンタジーめいている。インフルエンザの「なんか体調悪いかも」が何十倍速で進んでいくようなイメージだろうか。インドコブラは穴の空いた牙から毒を注入することを知った。
番組の趣旨は危険生物のランキング付けらしいが、これはかなり適当。
「う〜ん。スローロリスも魅力的だが、インドコブラの危険性には敵わない! インドコブラが上!」
「ファットテールスコーピオンの針もすごいが、クマネズミの方が被害者が多いので二位!」
こんな調子で、主観バリバリに順位が決まっていく。
海外番組らしいテンション高めのナレーションに釣られて、つい次の動物は?とワクワクする。
『世界まる見え!テレビ特捜部』もそうだったが、わたしは「娯楽です!」と振り切った顔のノンフィクションが好きなのだ。
二〇二四年十月十七日(木)
名古屋で開かれるZINEイベントを発見。
「出店者募集」の文字を見て、大通公園の芝生で本を広げる自分を想像して、やめてしまった。
友人を見つけて『子どもが欲しい、気持ちが欲しい』なんてタイトルの本を慌てて隠す自分や、奇異の目でジロジロ見られる自分を想像して、嫌になってしまったのだ。
自分の本を読んでもらいたい、買ってもらいたいとは思うくせに、その買い手と直接関わるのは怖い。都合が良いとは思う。
でも、姿を表すのはまだ「ものづくりをしている人」と「もの作りにリスペクトを持った人」だけの空間に留めておきたい。
こちらの日記を収録した日記本『タンポポは電車の座席に根を生やせるだろうか』は12/1(日)文学フリマ東京39で販売予定です!
サークル名:ねぎとろ丼
スペース:M-20
既刊の「子どもが欲しい、という気持ちが欲しい」「いのちって感じのご飯」も販売予定です📕
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