残してないよ、取ってあるの
「鮎川さん、これ残ってますけど......」
会社のフリースペースで開かれた飲み会が終わり、ほろ酔いで片付けをしている時だった。
同僚のKが使い捨てのプラスチックカップをこちらへ差し出している。マジックで「鮎川」と書かれたカップには、泡が消滅したビールが三センチほど残っていた。
「あ、ああ。飲みます。すいません」
テーブルを拭いている途中だったが、コップを受け取り一気に飲み干す。
ぬるい。そして、恥ずかしい。
あのカップはわたしの中ではとっくに「終わり」だった。
確かにビールはそこにある。
でも最後の数センチはもう別物というか、ビールの残りの「何か」でビールじゃない。だから飲む気もなかったのだ。
麦茶の最後の数センチにはいつも茶色の粉が溜まっている。ミルクティーのラスト一口には乾きかけの絵の具のような膜が浮いている。
どの飲み物も、最後の一口はわざと残してしまう。
数日後。
昼の12時を回り、わたしは冷凍庫を開け、冷蔵庫を開け、パスタソースやカップ麺が入った棚を開け、意味もなく野菜室を開けた。
食べられるものはあるが、食べたいものがない。
すべての引き出しをもう一度初めから開ける。すると、カップ焼きそばの山の奥に円筒のパッケージが見えた。
おお。「蒙古タンメン中本」じゃないか! これだ。今日の昼はこれにしよう。
ぬるまったビールも、棚の奥に潜んでいたカップラーメンも、残り物という点では同じだ。
違いを作るのはやはり、本人(わたし)の気持ちだろう。
発掘したラーメンだって「なんか違うから後で」と思っていたなら「残り物」だし、「大事だから取っておこう」と考えていたなら「取っておいた」ことになる。
真実を知っているのはもちろん本人だけだ。
食べる気のなかったカップラーメンを「取っておいたけどあげる」と言って渡すことだってできてしまう。
そんなことを考えているので、飲み会で食事を取り分けるのがこわい。
特に「Sは遅れるから、刺身取っておいて」と皿を渡されるとドキッとする。
試されている、と思う。
目の前に並んだブリの刺身は微妙に大きさが違う。
真ん中に並んだ一番大きな刺身を取るべきか。大きな身は既にいる人が食べたいだろうか。でも、遅れた人に端の方の小さな刺身を渡すのは当てつけみたいでやりたくない。
そうしてぐるぐる考えた挙げ句、端から三番目くらいの刺身を皿へ乗せる。
自分の分を食べていても、空席に置かれた小皿が気になって仕方ない。
改めて見ると、血あいが多いかもしれない。
しかも大皿のブリは思ったより減らなかった。
じゃあ遠慮せず中央から取ればよかった。
早くみんな食べ切ってほしい。皿が空になれば、後から来たSは比較しようがないし......。
そんなことを考えていると、Sが「ごめーん」と言いながら座敷に上がってきた。
「久しぶり〜」
「仕事お疲れ」
「こっちに席あるよ」
みんなが口々に声をかけ、Sを小皿の並べられた席へ促す。
「ご飯取ってあるよ」と言いながらMが箸を渡すと、Sは「ありがとう」と言うが早いかサラダを突き始めた。
そう、そう。取っておいたんだよ。
残り物じゃない。美味しそうなやつをね。
やっぱり料理の取り分けはこわい。
どれだけ美味しそうなものを取りわけても、「これは『残り物』じゃないよね?」と心が問いかけてくるのだ。
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