超私見:「新しいこと」の考え方・気づき方・始め方
新規事業のアイデアの出し方、プランの立て方。そういったノウハウは、世の中にあふれている。Webや本もあれば、そういう授業を受けられる場所もある。それはそれで勉強になる。でもそういった、ちゃんとした話は、僕はできない。著書とか出すような方の話のほうが、絶対に役に立つ。間違いない。(なので、ちゃんとした話を聞きたい方は、読まないで。長文だし、がっかりさせてしまうから。ごめんなさい)
ただ、僕は、教科書を読んで「そうだ!これだ!」となった試しが一回もない。学がない(謙虚ではなく本当にない。授業は寝る時間だと思って生きてきたし、実際、体育と図工と理科の実験以外はぐっすり寝ていた)ので、ちゃんとした話をただ理解できないだけという可能性は否めないのだが…
そんな僕でも、自分で何かを始めて、誰かに「新しいね!」と言われることもあれば、誰かが始めた何かに「へぇ、新しいね!」と感じることもある。
それは、何なんだろう。
日々、何かをずーっとぐるぐる考えていたので(暇か!)、少しだけ自分の中では整理でき始めてきた。ということで、あくまで今のところ思ってることを書いてみることにした。どうせ引き続き考えるから変化するけどね。
【新しいとは?】全く新しいなんて、もはや、ほぼない。
いきなり、タイトルを否定するのだが、そもそも、もはや「全く新しい」はあるのだろうか。正しい表現をするならば、現代に残っているのだろうか。宇宙や未確認生物や人体など、人類未発見の領域はあるかもしれないが、いわゆる研究的なこと以外に、あまり思い浮かばない。それでも人は「これ、新しいね!」という出会いが度々ある。仮に、僕の意見の前提ありきだとして、それでも「新しい」が誕生するのは何故なんだろう? 僕は2つあると感じている。
【新しいとは?】case.1 既存の何かと何かを掛け合わせる
すでに世の中に存在するものを掛け合わせる。組み合わせる。例えば、テレビデオ、FAX付き電話、クリームソーダ、家庭内エレベータ、珈琲泡盛、トイレのウオッシュレットなど、挙げたらキリがない(中でもクリームソーダは秀逸!考えた人天才過ぎる!)。それらが初めて登場したとき、「新しい」と感じたと思っている。冷静に考えると、アイスクリームもメロンソーダも、元々あったじゃないか。でも、メロンソーダにアイスクリームをのっける、というその創造プロセスをすっ飛ばしてアウトプットだけをみると「新しい」と感じる。少し話がそれるが、おそらく、メロンソーダとアイスクリームの流通量は増えたはずだ。例に挙げたのはモノだが、モノじゃなくてもいい。
【新しいとは?】case.2 「流れ」をひとつだけ180度変える
モノの流れ。サービスの流れ。お金の流れ。すでに成立しているあらゆるコトは、それぞれ一定の流れが決まっている。確立しているからこそ、ビジネスとしても成り立っている。
この確立した ”流れ” をなるべく細かく、でも適度に分解して、ひとつだけ180度逆にしてみる。その際のポイントは、2つ。
①あくまで1つ。複数逆転させると元通りになるか、ただこじれるw(結果的に複数の変化があるのは問題ない)
②サービスの流れではなく、人の感情の流れを重視する。感情軸でモノゴトをみると、スイッチしてもよさそうなポイントがみえてくる。
たとえば、俺のフレンチ。フランス料理といえば、高級。誰もがそう思い浮かべないだろうか。食べてみたいけど手が届かない。敷居が高い。だったら、もっとカジュアルにいけるフレンチがあったらいいじゃん。「敷居が高い」を「敷居が低い」に転換させたモデル。
この発想でつくったのが、確定申告や健康面などの、フリーランスの支援サービスを集合化させた Freelance Basics です。「個人に会社機能を」をテーマとして表に出しているが、本音のテーマは「好きなことだけで生きていく」です。フリーランスは、やりたいことをやるなら嫌なことを我慢したりリスクをとれよ、が一般論。例えば確定申告。苦手でもやらなきゃいけない。でもやりたくない。だったら、自分の苦手は誰か(確定申告なら税理士さん)に任せればいいじゃん、と。だって、自分が苦手だからって世界中の人が苦手なわけじゃなくて、むしろそれを得意とする人がいる。自分の苦手と誰かの得意を組み合わせる。その逆もしかり。そういう仕組みにすれば、みんなハッピーじゃん。「苦手でもやるべき」を「苦手ならやらなくていい」に転換したのです。
【新しいの発見方法は?】日常と違う刺激を受け、”そうぞう力”を得る
あくまで僕の場合だが、3つの方法をとっている。1つ目は、大前研一さんが言っていることそのもの。「自分を変革する」と題しているが、僕にとってはニアリーイコール。2つ目は、SFをみることです。3つ目は、近所の公園にいき、小学校5年生くらいの言動を眺める。2つ目と3つ目は、誰に何を話しても「だよね!」と言ってもらった試しがないw
【新しいの発見方法】case.1 会う人を変える。というより、深くする&増やす。
①時間配分を変える。②住む場所を変える。③付き合う人を変える。とのこと。僕の見解としては、つまるところ③。①と②を変えても③がなければ無変化に近いし、③とは、つまり①②にもなる。確率論的に①②も変えたほうが③が広がるだけ。①②は現実的に動かしづらいこともあるが、③だけを意識すればいいので大丈夫って話。
そこで得られるのは2つ。一つ目が、知らないことを知る。二つ目が、知っていた(つもり)のことの魅力をアップデートできる。
知らないことを知ると新たなソウゾウが生まれるのは、誰もがピンとくると思うので説明を割愛しますが、知っていたことの魅力のアップデートは少しだけ補足します。
海外旅行をした気づきが日本っていい国!みたいな話なんですが、「あーこれを変えないと!」「これはもはや新しくない!」みたいになったとき、本当に変えたほうが良いケースもあるのですが、単純に慣れみたいなものから変えなくて良いものを変えたくなってしまうだけのケースもある。そんなときは、外と対話することで客観視点が増し、維持=新しい、を担保できてしまうことがあるように思います。
最悪のケースは、味付けを変えようといろいろ混ぜまくった結果、くそマズイ料理になってしまうやーつ。途中で、新しく味見してもらう人を増やしてないからね。それを、個人で勝手に混乱する現象=4Kと呼ぶらしい。
ちなみに僕は「会う人を変える」というより「深くする&増やす」だと思っている。別に今まで会ってた人がNGなのではない。深く知れば ”ある意味別人” と接すると言えるからだ。そして相手も変化するから、自分が知ってる相手は、すでに過去の相手なのだ。
【新しいの発見方法】case.2 SFをみる。
さて、大前さんの話とは違って、ここからは完全にオリジナル。なので、誰も賛同してもらってない話です(社会に共感される大前さんってすげぇな。お会いしたことないけど)
時間をとって何かモノゴトを考えようとするとき、僕は、SFをみます。もっと具体的に言うと、映画「バックトゥザフューチャー2」と、星新一の本「きまぐれロボット」です。何度もみてるのですが、ずっとこれです。毎回違うものにみえるので問題ありません。
SFの何がヒントになるのか。それは「現実的ではないけど、これができたらいいよね」が、「ある程度の現実に近いソウゾウのもとに表現されている」からです。
バックトゥザフューチャー2でいうと、タイムマシーンだけはまだ遠いかもしれないが(理論上はできるって噂は聞いたけどホントか!?)、それ以外はもう少し近いんですよね。実際、映画の中のシーンで現実になっているものはたくさんあります。
これは何のための役に立っているかというと、「いま自分がやりたいけど、ソウゾウの世界だから、本当にそれできるのかぁと思ったときに、諦めなければたいていできる」と思えるようになることです。何か新しい挑戦が終わるときって、ほぼ100%自分の(気持ち)のせいなんですよね。SFに新発見があるというよりも活力みたいなものを与えてくれる感じです。それがすなわち諦めない気持ちになれて、新しいことにたどり着くまで模索し続けられる。新しいことの発見方法として、僕の場合はSFが役立っています。
【新しいの発見方法】case.3 近所の公園で、小学校5年生の言動を眺める。
SFをみること以上に、共感されない発見方法。というか、怪しさ満載の方法かもしれません。念のために言っておきますが、もちろん何にもしません。ただ眺めてるだけです。(注:10歳くらいの子に、僕がほぼ同世代の中身だとバレるので、すぐ仲良くなって一緒に遊ぶことはあります。少しだけサッカー巧いのでヒーローになれることも!でもね、大人や女性には人気ないのが無念で仕方ない)
さて本題。
見ているのは言動です。小学校5年生くらいになると、一定の常識や社会を理解しつつあります。一方でまだ子供だから、良くも悪くも本音でしか実際の行動はしません。発言も自由きままに本音です。「サッカーあきたー。おれ帰る」「それ点入ってないし。ちょっと上だし」「やっぱ、いまのジャンケンやりなおし!そもそも勝ったほうが勝ちって言ってなくね?」
ルールや法則を理解した上での 本音 なんです。
大人との違いはここです。満員電車に乗りたい人は、チカン以外たぶんいません。でも乗る。それを「仕方ないよね」とか「社会人とは!」という理由で乗っている(人が多い)。もしも、いろんな心配から逃れられる前提で ”乗らなくていいよ” となった場合、乗らないと思う。
ルールや法則を理解したうえで、人目を気にせず無視する意見。は貴重な気づきの宝庫です。
そこに偉大なヒントがある。新しいというより、そもそも本来はこうだよね、でも、それを何らかの理由でゆがめていただけだよね。かもしれない。でも、だったら、ゆがめるのをやめることそのものが、新しいことになる。
【新しいの発見方法】想像力と創造力
新しい発見は、想像力と創造力だと思っている。だから、少なくとも僕は、教科書やフレームワークからは出てこない。①オモシロイ大人、②フツウの子供たち、③アートという創作物に深く接することから、想像力と創造力が湧き出てくる。
【新しいはいつやる?】一歩先ではなく半歩先か。流行(バズ)ではなく文化か。
新しいことは思いついたらすぐやればいいか、というと、そうでもない。あと、思いついた発想そのものがトレンディーというマヤカシにまぶされていないかも大事な観点だと思ってる。バズって消えるの多いからね。逆にいうと、バズらないけどジワジワしみこむやつは強い。
【新しいはいつやる?】一歩先ではなく半歩先か。
アーティストならいいのだがビジネスマンの場合は、半歩先がいいと思っている。先に行き過ぎると、ただ理解されない。
過去の事例を取り上げてみる。(私見が入るのと、記憶が曖昧だから多少違うかも。ただ、伝えたいことは変わらない)
あるメーカーが、FAX付き電話を生み出した。でも、誰も買わなかった。FAXと電話が一体化していると何がいいのかさっぱり分からなかったからだ。
その後、別のメーカーが同様の商品を展開したら、爆発的にヒットした。その時のプロモーションが秀逸だったのもある。「こんなの、どう説明する?」という駅から家の地図をみせた。入り乱れた道の図で、言葉(電話)で説明するのが困難な。
が、タイミングの問題でもある。FAXの便利さと電話の不便さを社会の理解が表面化するタイミング。プロモーションによって、水面下の理解を表面に出してしまうことはできるが、タイミングがズレるとその難易度が変わる。
それらのタイミングを知るのはどうすればいいのか。やはり、前述の発見方法のとおりで、いろんな人に会うことで 時代の空気をリアルに体感する ことだと思う。教科書からそれを読み取れるのは、僕の知る限り、天才・曽根さんくらいしか浮かばない。天才過ぎて、何言ってるかわからないけどね!
【新しいはいつやる?】流行(バズ)ではなく文化か。
バズらないこと。それはむしろ大事だと思う。バズるのは短命でしかない。PVやUU稼ぎのメディアの悪影響もある(その指標ではない良質メディアももちろんある)。変な相乗効果で異常に跳ねることもあるが、そんなのマヤカシでしかない。そう思うのは、文化になったバズをみたことがないからだ。googleやFacebookはバズったのではなく、絶妙なタイミングだったことも相まって、カルチャー浸透の速度が劇的に速かっただけ。それでもスタート時をうっすら知るものとしては(おっさんってことです)、ジワジワからのドバーッだったように思う。
バズることは飽きること。文化はバズらない。いま始めると変にチヤホヤされないか。それは他者を巻き込む私欲ではないのか。は自問自答した上で、せっかく考えつくした新しいことを始めるほうがいいなと思ってる。
【最後に】結局、信念。
以上が、超私見の「新しいこと」の考え方・気づき方・始め方。で、ここまで書いておき、しかも、長文を読んでいただきなんだが、なによりも大切なのは、信念でしかない。
「それ、何故やりたいの?」「たとえ、誰かに反対されてもやりたいの?」「差別化とか、つまらんこと考えてない?ただ純粋にやりたいの?」「戦略とかロジックとか、それっぽい言葉を使わずに、へたくそでもいいから想いを語れる?」「正解か不正解か知らんけど。ってか失敗確率のほうが高いと思うけど、それでもやるの?」
それでもやりたかったら、やったらいいだけ。仮に失敗しても後悔はしないと思うよ。人生100年時代だから長くなったので、将来のこと考えようとか言う人いるけど、たった100年しかないからね!
Freelance Basicsについては軽く紹介したが、新しい働き方LABはまた今度どっかで気が向いたら書きます。いつ気が向くかなぁ。
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