[好きな広告を勝手に解説するシリーズ] TOTO ~おしりだって、洗ってほしい。~
好きな広告を勝手に解説するシリーズ vol.2は、TOTOの広告「おしりだって、洗ってほしい。」です。
この広告において勝手にすごいなと思うところが2つあります。
①「おしり」という言葉を使い、共感を得た
いまでこそアタリマエとなったウオッシュレット。時と場所を選べば、おしり、うんち、おしっこといった単語も特段卑猥なワードとも思われません。それどころか、場合によりエンターテイメントになったり、なかには、少し前にブームとなったうんこ漢字ドリルのように「学び」に活用されたりしています。
現在でこそ市民権を得た単語になっていますが、TOTOの広告が出された1980年代は、まだまだそんな状況ではありませんでした。プライベート空間での発言はまだしも、広告という、ある種の社会的責任のある場所においては、ご法度だったといっても過言ではありません。
しかしTOTOの新商品であるウオッシュレットを告知するにあたり、よりスピーディーに、よりスムーズに魅力を伝えるには、どうしても「おしり」が分かりやすかった。下手な言い方をすると「ハレンチ(死語?)だ!」と騒がれ、新商品が売れないどころか、ブランドイメージ低下につながり、既存商品さえ嫌煙されかねない。今の時代だったらSNSで拡散され、いわゆる炎上騒ぎになるでしょう。
「おしりという単語を活用したほうが良さそう」「おしりという単語は市民権を得ていない」「下手な言い方をすると、ブランド低下につながる」「でも、おしりという単語が実際にはわかりやすい」……
さて、どうするか?
「おしり」という単語から、当時の人たちが抱くイヤらしさを、キレイに排除したのです。 ”顔や手という肌” を洗う行為と同等とみせる形にしました。そう、おしりも肌なんです。肌を水で洗うという行動は誰も否定しません。それどころか、「あ~、言われてみれば確かに!」と実感させたのです。巧すぎる。巧すぎる。巧すぎる。
②読み手に、なんの苦労もさせない
そして、その「あ~、言われてみれば確かに!」を、すーっと伝えるコミュニケーションにしているところがさらにスゴい。
広告は、同じことを伝えるなら短いほうがいい、とよく言われます。それはそのとおりだと思います、同じこと伝えるなら。
この広告のコピーは「毎朝顔を洗うでしょ」「紙で拭く人っていないよね。どうして。」「紙じゃ、きれいにならないものね。」「おしりだって…」とつながります。
よく考えると、「紙で拭く人っていないよね。どうして。」は無くても日本語としての意味は通じます。「毎朝顔を洗うでしょ」「紙じゃ、きれいにならないものね。」。ここだけ切り取ると問題なさそうになるのです。でも、これが全然違う。”紙で拭く”というフレーズが、不特定多数という世間を相手にしたコミュニケーションのコントロールに欠かせません。
「毎朝顔を洗うでしょ」「紙で拭く人っていないよね。どうして。」「おしりだって…」とつなげてしまうと、どうしても、読み手に感情をゆだねてしまう。「紙じゃ、きれいにならないものね。」がないと、「おしりだって…」に黙読突入した際に、読み手の脳内では一瞬ですが「ん?」となる。仮に感受性豊かな人だったとしても、「つまり?」という思考を挟んで、脳内接続変換が必要になっちゃうんです。ちょっとわかりづらいかもしれない(説明下手ですみません)。ということで、ならべてみます。
「毎朝顔を洗うでしょ」「紙じゃ、きれいにならないものね。」「おしりだって、洗ってほしい」
「毎朝顔を洗うでしょ」「紙で拭く人っていないよね。どうして。」「紙じゃ、きれいにならないものね。」「おしりだって、洗ってほしい」
お尻は紙で拭くもの。という共通理解があるからこそ、「紙じゃ…」のブリッジが「おしりだって…」の読後に、すんなりと「あ~いわれてみれば確かに!」になり、みんながこぞって利用し始めたんです。
その後のウオッシュレットの市場拡大は劇的過ぎて、もはや数字で語る必要はないですね。
以上、単なる広告好きの私見でした。
その他の広告紹介はこちらです。もしよかったら暇つぶしにご覧ください。
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