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うさぎと私と、ちょっぴり綾小路翔さん。-かわいいって何だ?-
実家でメスのうさぎを飼っている。
私が実家に暮らしていたときからつれないうさぎだ。
ご飯をくれる父になんとなく心を許しているのがわかるくらいで、基本誰に対しても甘えることがない。
私には玄関でのうさんぽ(うさぎのお散歩)がしたくて「出せよ」と言わんばかりの態度を取ってくる。それも見ようによっては甘えているとも言えなくもないが、態度を言葉に変換するなら絶対「出して〜(ハート)」ではない。「出せよ」なのだ。
かと言って見た目が天使……かと言ったら美人ではない。アイドルでもない。
私がTwitter上でめちゃくちゃ天使だと思ってフォローさせて頂いてる井口病院さんの愛兎「ぽぽたむさま」や、写真集発売もされるほどアイドルうさぎ界でも人気の高い「うさぎのモキュ様」には到底及ばない。
そう、言うなればブスなのだ。
それも青森の秋田犬「わさお」のようなブサカワではない、笑えないリアルなやつ――
性格も見た目も愛嬌がない奴なのだ。
ネット上に書くにあたって「うちの子かわいいでしょ〜!」ってやると批判が怖いから謙遜してるとかではない。マジなのだ。
と、こんなことを書くと
「たとえ動物のことであろうと見た目をブスと評価するとは何事か」、とルッキズムの観点から批判が飛んできそうでヒヤヒヤしている。
でもね批判されないためにとかそういうわけではなくて、
私はそんなうちの子が心底「かわいい」んです。
見た目ブスだけどかわいい。
矛盾した思いをずっと抱えていて、自分でもわけがわからなくなるときがある。
ふと、「かわいい」について考えていたときに
氣志團のボーカル・綾小路翔さんが語っていたエピソードが思い出された。
綾小路翔さんの最初の挫折から見る、「かわいい」
綾小路さんは、幼い頃お母さんに「あんたはかわいい」と言い続けられて育ったらしい。本人もそのつもりでいて、ある日ジャニーズ事務所に履歴書を送ろうとしたらビンタされて、「お母さんにとっては世界一かっこいいけど、世間的に見たらそうでもない」と言われたそうだ。
私はこのエピソードを本人が笑い話として語るのがすごく面白くてめちゃくちゃ大好きなのだけど、
お母さんはたとえば「アイ・フィール・プリティ!」の主人公レネーのように、頭を打ってものの見方が突如変わったわけではない。
それは「世間的に見たらそうでもない」って言い方からわかる。
ではこの場合の、あるいは私の感じている「かわいい」って何だろう……って考えると、
「愛おしさ」
なんじゃないかなって思う。
いとおしさ。
なんとも温もりを感じる響きである。
そこには世界の基準がどうとか、
造形が整っているとかどうでもいいのだ。
そこにあるのは主観。
人やものと、それを見て感じる人との間にあるつながりだ。
愛でたくて、ぎゅっと抱きしめたくて、心がきゅんと暖かくなる。
私が「かわいい」と感じたからかわいい。
それで間違いないのである。
だから私は今日も叫びます。
一人暮らしの自宅から、遠い実家にいるうさぎに思いを馳せて。
向こうは私のことなんて露ほども気にしてはいないだろうけど。
ぴっぴという名前ではないのに愛おしさが高まると奇声を上げてしまう。
「ぴっぴ〜〜〜〜〜かわいいよぉ会いたい"よ"ぉ"!」
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