新学期を控えた昨晩。 祖母がコロナで急逝した。 気の強い祖母だった。 ASDの気を持つ旦那(私にとっての祖父)とはよく喧嘩というか言い合いをしていた。 私は大学時代、障害特性からあまりバイトもできず、講義もあまり行けてなかった(2年生からは通信制に切り替えていて、ほぼ引きこもりのような感じ)だったので、見かねた祖父母が農業の手伝いに誘ってくれた。 夏と秋、絹さやの収穫と選別の仕事。 太陽の下、身体を動かしているのは好きだった。 コツコツやるのは得意だったし、自分のペース
色々あった一年だった。 年をとると一年を過ぎるのがあっという間でそれが加速していくというが、 それは生きてきた年数に対する「一年」の割合、 その他に、やってきたことの密度も関係するという。 いわゆる「ニート」をしていた頃は、 慢性的に焦りを感じていたうえに、年末になると焦りがさらに加速していた。 今年は「やりきった」と素直に思う。 年始の帰省で10日ほどずらして休みを取った直後、職場である派遣先は様変わりしていた。 仕事をようやくパターンで覚えて安心していたはずの浦島
変な味のお菓子、味が想像できない食べ物が好きだ。 ラムネ味のチョコ、ガリガリ君のナポリタン味……。 実際に食べてみると奇跡の組み合わせ!と出会いに嬉しくなるものもあるし、想像してた通りに合わなくてマズいものもザラにある。 ガリガリ君はコンポタ味が美味しくて好きだった。が、ナポリタン味は美味しくなくて赤城乳業としても3億の赤字を出したと社員が語っていた。 私が定価でとびついて買ったものが、のちにワゴンセールで投げ売りされているのを見るのはザラである。 それでも、私はなぜ
先日は成人の日だった。 かつての成人だった私は、それから10年以上が経過している。 当時、いろいろな理由があって成人式に参加しなかった人もいると思う。 そもそも振袖を着ることすら叶わなかった人もいるだろう。 私は当時、無職というとても居心地の悪い状態でありながら参加した人間だ。 ただ、少し違う方面でさまよっていた、かつての自分の「亡霊」を成仏させることに成功した。 今日はそんな話をしようと思う。 袴(はかま)姿への憧れなんだかんだ成人の儀を迎えた私。 大学は通学制から通
あなたは、どんなゲームが好きだろうか。 今、テレビゲームと言ったら笑われるのかしら? 家庭用ゲームの部類、もしくは携帯用ゲームのことである。 大人になっても趣味として楽しんでいる人もいるだろうし、 幼い頃、夢中になってハマったゲームの話でもいい。 あなたは、そのゲームの"どんな所"が好きだった? 好きな/嫌いなゲームに見える、その人の得意不得意個人的な話を例に出すと、 私は「ぷよぷよ」がドヘタだった。 ぷよぷよというゲームは有名なので知っている人が多いと思うけど、
人生がくすぶっている時、 私はドキュメンタリーを観る。 NHKのドキュメント72時間や、 フジテレビのザ・ノンフィクション。 特別大きなエンターテインメント性のない、淡々と素人さんの人生を追ったものが好みだ。 そこには大病を患ったり、 苦難に見舞われた人も多く登場する。 映画だとか、芸能人のドキュメンタリーでは「こうなりました」と語られるはずの"現在"は、 そういったドキュメンタリーにおいて、必ずしもスッキリするものではない。 現在進行系で病気と闘っているひと、 ま
すごろくでサイコロを振り、 出た目の数だけマスを進む。 「一回休み」 他の人がマスを進んでいく中、 自分にはサイコロを振る機会が与えられない。 気持ちは進みたいのに、置いてけぼり。 身体がついていかない。 心の元気がついていかない。 一日一日の余暇だけではない。 そういえばここに至るまで、 文字通り「一回休み」の多い人生だった。 通信大学卒業して、 就活する勇気がなくて(というか社会人になるのが怖くて)半年プラプラ、 ブラックに捕まりつつ何度か転職を試みるも、
先日、叔母が亡くなった。 仕事上のストレスから依存症になり 病気を発症して一年にわたる闘病をしての旅立ちだった。 いつ亡くなってもおかしくない状態と聞いていたので、それほど驚きはない。 私がすでに成人した後に、母方の叔父と再婚したひとなので、 会ったことがあるのは片手で数えるほど。 お祭りの日に祖母の家へ、叔父一家が家族総出で泊まり込むのでそのときぐらいだった。 ――そしてその時も、決まってお酒を飲んでいた。 うちの家系は揃いも揃ってシャイな血筋なのだけど、 叔母は
「だるまさんが転んだ!」 夏日の午後のこと。散歩をしている私の耳に飛び込んできたのは、元気いっぱいな男の子の声だった。 休校によって体力を持て余している、近所の小学生だろう。 サンサンと降り注ぐ太陽の下。駐車場で3人、往年の遊びを楽しんでいた。 「今の子供も『だるまさんが転んだ』なんかするんだなぁ」と、 なんだか感激さえしてしまった。 Switchだってネットだってある時代、古の遊びなんてそれらに比べたら魅力のあるものなのだろうか。 30歳である私の世代の幼少期におい
カッペは激怒した。 「なにゆえド田舎にはバーミヤンを寄越してくれないのか」 私の出身地は青森である。 自他ともに認めるチェーン店弱者だ。 何年も前、セブンイレブンやスターバックスがやっと青森に現れて ネタじゃなくマジで行列を作ってネットニュースになったことを、 あなたはご存知だろうか? 青森県は全国チェーンの飲食店が進出するのが異様に遅い。 全国制覇まであと数県……となるとだいたい同じ顔ぶれで、 そこには青森県も必ず鎮座している。 コメダ珈琲は堂々のビリだった。 開
アサリが怖い。 あの砂を吐き出すピロピロが怖い。 そんな私にもアサリが平気で食べられる時代はあった。 鍵っ子だった小学生のとき、母が砂抜きのため薄暗い台所に放置していたアサリを見てしまったのがきっかけだった。 調べてみたらあのピロピロは「出水管」というらしい。水を吸うほうが「入水管」。まんまだな。 ひとつ前のポストで私は「好き嫌いのない子供だった」と書いた。 昔から今まで、まあ食べようとすれば食べられるから、嘘ではない。 言うなれば「見た目に殺生を感じてしまうもの」が
コーヒーはわりと飲む方だが、実のところ美味しいと思っていない。 香りは好きだ。それも豆が挽きたてのときだけに姿を見せるあの儚い香り。 淹れたときの香りも悪くはないけど、あれはもう私の好きなものではない。 カフェラテは好きだけれど、 あれはミルクの中にコーヒーの風味を感じるものであって、コーヒーを味わうものではないと思っている。 つまりコーヒーを飲むとき、ましてやインスタントなどを飲むとき、私は心から美味しいものだと思ってやしないのだ。 あれは私が「大人ごっこ」をしてい
20代最後の朝は、 清々しい自然な目覚めでもなく聞き慣れた目覚ましの音でもなく 緊急地震速報の不安感を煽る音色で目が覚めた。 テレビで規模を確認して被害はなさそうだ、と落ち着きを取り戻したあと 最悪の目覚めだな、と笑ってしまった。 まあ、世間のサラリーマン・OLが大体仕事を始めるであろう時間に寝ている私が自然災害に腹を立てるのもお門違いだろう。 落ち込むでもなく笑ってしまったのは、 まあそういう日もあるよねってこと。 明日には30歳になる。 履歴書に書けるような経歴の
実家でメスのうさぎを飼っている。 私が実家に暮らしていたときからつれないうさぎだ。 ご飯をくれる父になんとなく心を許しているのがわかるくらいで、基本誰に対しても甘えることがない。 私には玄関でのうさんぽ(うさぎのお散歩)がしたくて「出せよ」と言わんばかりの態度を取ってくる。それも見ようによっては甘えているとも言えなくもないが、態度を言葉に変換するなら絶対「出して〜(ハート)」ではない。「出せよ」なのだ。 かと言って見た目が天使……かと言ったら美人ではない。アイドルでもな
初めまして、根岸 亜衣(ねぎし あい)と申します。 30歳になる節目の年、誕生月である5月にnoteを始めることにしました。 普段はTwitterとブログ「最期死ねればそれでいい。」に主に生息しています。 発達障害のグレーゾーンであることから、主にメンタル系の病気や障害をお持ちの「生きにくい」人をターゲットとしたお役立ち情報を発信しています。 ブログではそういう「誰かに役に立つこと」を書くようにしているのですが、 けっこう自分の目を通して見た世界を表現するのも好きでして。